無意識日記々

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英語で歌うヒカル

いきなりSWVの曲歌われてもわからんわいっ。アルファベットの半角フォントには"〜"も"♪"もない訳で、文中で歌うんならダブルクォーテーションをつけるなりしないと判別がつかない。最後に"dooo!"と書いてあるので辛うじて歌い上げてるのかな、という感じ。にしても"90年代の"ってわざわざ書いたのは今年の復活アルバムが気に入らなかったりしたのだろうか。あたしゃ聴いてないからわからんわ。

ヒカルが90年代のR&Bにハマったのは10歳過ぎてから、寧ろ日本の学校に通っている頃だったように思う。小学校の頃はBon JoviやらMetallicaやら、或いは父のコレクションと思しきBeatlesLed Zeppelinを聴いていた、という順序だったような。父は70年にNYでEL&Pを見ているというのだからキャリアが違う。相当コレクションも充実していた事だろう。

という認識に立てば、ヒカルのR&B好きはどれ位NYに根差したものだったのかの見極めが必要になる。日本では90年代のR&Bというのはいまいち浸透しなかったイメージがある。世代でいえばヒップホップ/R&Bと呼ばれていた世代。それはファッションでありカルチャーであった為、地元の人間でないとピンと来ないものだった。90年代の日本では特に中盤、洋楽の売上が好調だったが、日本で売れたR&Bシンガーの皆さんはそのジャンルだからというよりはどちらかといえば「アメリカ発のスーパースター」という扱いだったように思う。まぁいつものことっちゃいつものことだが。

いつものことにとどまらなかったのは、その音楽を踏襲した日本のシンガーのレベルが非常に高かった為だ。98年のMisiaの大ヒットのインパクトは強烈だった。それすら前座として霞ませてしまう程ヒカルの登場は狂気の沙汰だったのだが、裏を返せばヒカルは"やや遅れてきた"歌手でもあった。

何より年齢的に、というより時間的に足りていなかった。98年でもまだ15歳だ。これ以上早くデビューしろったって無理がある。結果的に90年代R&Bの後を追う形になったが、それを"NYからのルーツに根差した"と評するのは上述したように考慮の余地がある。ヒカルは5年生の時、10歳前後で一旦日本の学校に通い始めている。そのあとの詳しい推移がわかればいいのだが。米国でのレコーディングと日本でのレコーディングではその時々で当地に住んでいたと考えるのが自然だが、果たしてどこまでのシャトル生活だったのか。それによってヒカルの"ニューヨーカーぶり"を推し量る必要があるだろう。

とはいっても、SWVを後追いでなくリアルタイムで聴いていたなら話は早い。彼女たちがデビューした頃はヒカルはまだNYの小学校に通っていたはずである。ただ、"R&Bに目覚めた"のが94,95年頃だったという話とは若干ズレる。ラジオで名前位は聴いた事があったけど後から聴き直してみたらハマった、位が現実的な落としどころだと思うがどうだろうかなぁ。