無意識日記々

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aim & age

「楽曲の質を上げる」という透明な目標・意図・意志・傾向・性向を押し進め続けるのは難儀に過ぎる。だから今人間活動を通じて一旦登った山を下り、次にもっと高く登れる山を探している所だと思う。確かに、SCv2より質の高い楽曲を作るのは最早無理だったろう。

しかし、となると次に復活するタイミングというのは難しい。今までは富士山を登っていた。今度はエベレストを登ろうという事なのだが、ならば人前に姿を現すのはいつ頃がいいのだろうか。エベレストを登り始めるところからだと、富士山の山頂からの景色を見慣れた我々には退屈に映るだろう。贅沢な話だが。かといっていきなりエベレストの中腹の"富士山の山頂より高い地点"で姿を現すというのも何だか現実味が薄いような。そんなにパワーアップ出来るものなのかな。

歌手としてのパワーは、肉体的にはいつかは衰えてしまうものだろうが、果たして作曲家というのはどこまで成長を続けられるのだろう。クリエイターとして一番遅咲きなのは一般的に映画監督で、こちらは70歳80歳になってから最高傑作を撮る人も居そうな感じである。具体例は思い浮かばないんだけども。

若さを要求する芸術もあるだろう。体操や新体操は20代前半までの女子を要求したりする。フィギュアスケートなんかもそういう雰囲気があるだろう。まぁそれを言ったら大抵のスポーツは25歳位が体力的にはピークになるのだが。

エステティックな領域では数学者だ。こちらもスポーツ同様、大抵の大物は25歳までに結果を出す。ワイエルシュトラスが40歳になってから…なんて事をわざわざ言われがちなのは、それが珍しいからである。

作曲家は数学者に近い印象もある。モーツァルトやベートーベンといった大作曲家たちは早熟も早熟だ。その上、作風は幼少の頃に確立している。クラシックの作曲家たちも、有名どころは早咲きが多い。

昔とは状況が変わっているとみる事もできる。栄養状態や治安が改善され、健康に長く生きられる時間が長くなった現代人はそれだけ力を発揮できる機会が多い。昔の天才が早熟だったのは、なかなか健康に歳をとれる人が少なかっただけかもしれない。今の時代なら、作曲の質を生きている間中増し続けられるのかもしれない。

実際、今年の2月に紹介したように、御大サー・ポール・マッカートニーは御歳69,70歳にしてThe Beatlesの全盛期と較べても何ら遜色ない名曲を書いている。結局はやる気の問題かもしれない。

果たして、ヒカルは今まで以上に楽曲の質を上げる事が出来るだろうか。エベレストの中腹から富士山を見下ろす日がいつか来るのだろうか。ファンは無責任な存在だなぁと思う。期待するだくしておいて、自分からは何もしない。いや、実際見守ってる位しかやれる事ないんだけどね。あとはヒカルのやる気次第。いちばんの問題はやっぱりそこなのだが、相変わらずそのいちばん大事なところに当て嵌められる答を持ち合わせていない。どうやったらヒカルに「もっといい曲を書きたい」ともっと思わせられるだろうか。この日記の目的はそれ一点に集中していると言ってもいい。それこそが私にとっていちばんの希望なのである。