無意識日記々

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ピアノだけじゃないぞ

漸く桜流し以外の音楽も聴いてみる気がおきてきたが、聴いてみても「やっぱり桜流しは素晴らしい」という感想ばかり出てくる。ではあるが、その割にどの音楽を聴いていても何だかいつもよりよく聞こえている気がする。多分、光の新曲を浴びまくって幸せな私の耳の「機嫌がいい」のだろう。全く現金なものだ。

ピアノの動きと主人公の目線の動きがシンクロしている、という話を続けてきた。特に、降下分散和音に彩られた『あなたが守った街のどこかで今日も響く健やかな産声を』から『聞けたならきっと喜ぶでしょう私たちの続きの足音』において"あなた"を思い返す場面で夜空を仰ぎ見るように上昇分散和音を奏でる場面はとても気に入っている。"あなた"を想って見上げるよなぁそりゃあ、とついつい納得してしまう。この感傷的な幻想美から違和感なく単和音の連打がピアニッシモで始まるのだが、ここからの激動の展開に説得力を持たせるのが『もし今の私を見れたならどう思うでしょうあなたなしで生きている私を Everybody finds Love in the end』での和音の残像である。これがあるから、柔らかで静かな単和音の連続が激しいバンドサウンドを導き入れるのに違和感がない。伏線とはこう機能すべしというお手本のような構成である。

ここで一旦引いて、また降下アルペジオ(分散和音)の小さな煌めきに戻る際によい役割を担っているのが、一度目の『finds love』 の直後に左チャンネルから舞い降りてくる弦楽器系のシンセの旋律である。ここが巧い。この、小さく雪崩落ちるような旋律によって一旦ここで盛り上がった感情はリセットされる。一度目の『In the end』と二度目の『in the end』の見事な歌い分けをスムーズに聴かせる為にも、ここでサイレントカタストロフともいうべきフレーズを入れたのは効果的であった。まるで春先の雪解けが小川に合流するような、そんな感触だ。或いは岩場に詰まって流れ損ねていた川面の桜の花びらが堰を切って一気に流れ出すような艶やかさというか。活躍しているのはピアノだけではないのである。