無意識日記々

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全ては流される。最後に残る愛。

そういえばサラッとツイートしてそのまま流してしまった話があったな。桜流しとBeautiful Worldの歌詞の対応だ。

「自分の美しさまだ知らないの」「あなたはとてもきれいだった」
「ただもう一度会いたい」「もう二度と会えないなんて」
「言いたいことなんか無い」「言いたいこと言えない」「まだ何も伝えてない」
「It's Only Love」「Everybody finds love in the end」

特に、「It's Only Love」は、ライブバージョンにおいては最後の最後の一言である。最後に「愛」に出会うとはBeautiful Worldそのものだろう。

簡潔や要約であるアウトロ、全部盛りのクライマックスの更に前のパートは次の通りだ。

『Everybody finds love in the end
 もう二度と会えないなんて信じられない
 まだ何も伝えてない
 まだ何も伝えてない』

ここでの歌唱の悲痛さは圧巻だ。先程述べた通り、この部分をBeautiful Worldに対するアンサーソングとして解釈すれば余計に悲痛さは増す。『ただもう一度会いたい』という願いさえ叶わなかった。言いたいことが言えなくて逡巡する瞬間にすら巡り会えなかった。その悔い、その悔い。

Beautiful Worldの『もしも願い一つだけ叶うなら君の側で眠らせて』の一節に対する正統的な解釈のひとつに、『あなたと同じ場所に亡骸を』というものがある。要は一緒のお墓に入りましょう、死んだ暁には一緒になろう、という願い。桜流しでは、それをも叶わなかったであろうことが推察される。故人の亡骸が今どこにあるかも、わからない。多くを語る必要はないと思うが、『もしも願いひとつだけ叶う』ことも、なかったのだ。その事実を受けても、光は『どんなに怖くたって目を逸らさないよ全ての終わりに愛があるなら』と叫ぶ。最早説得力云々の世界ですらない。魂を魂にそのままぶつける感じである。ここまでエモーショナルな楽曲は久しくお目にかかっていなかった。Be My Lastでも『今夜一時間だけ会いたい』と歌っていたが、それすらも叶わなかった。そもそも、『誰かの願いが叶う』こともなかった。それでも『Everybody finds love in the end』と歌う。歌える。歌わなければならないのである。絞り出す一声。どこまでも魂の楽曲だ。

しかしながら、そのオーケストレーション、作曲術は冷静沈着、理性の発露そのものだ。もっと言えば、これだけがっちりと演奏を組み立てたから歌がこれだけなまめかしく艶っぽく艶やかに自在に変化(へんげ)していけるのである。そう思ってinstrumentalを、聴いてみて欲しい。いやアカペラで歌ったとしても十分凄いだろうけどね。