無意識日記々

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復活の福音

桜流しの最終盤、『全ての終わりに愛があるなら』の場面、今までピアノからエレクトリック・ベースへと引き継がれてきた後半の主旋律が激しいドラミングに引き摺り突き崩されていく中、最後の最後にストリングスが上から被さってその主旋律を奏でる。劇的。

絶望すら破壊され尽くす中、突如天界から降りかかるようにそのメロディーが一度だけ"復活"するのは何なのか。この構成こそこの楽曲が"EVANGELION"という作品の主題歌たる所以であると私は考える。

EVAはセカイ系の走りと呼ばれている。セカイ系とは何かと一言でいえば、中二病の唯我論である。"私"の感情の振幅が世界の行く末を決める―このテーマを最もわかりやすい形でメジャーに広めたのはEVAよりも寧ろ涼宮ハルヒの方だと思うがハルヒ自体EVAへのオマージュを基礎にして成り立っている作品であるからしてEVAはやはり偉大だなと思わせる。

桜流しのこの最終盤のアレンジは、このセカイ系の世界観(セカイ観?)を反映したものだと思われる。ひたすら沈み込んでいく主旋律が行き着いた先が、絶望が天から降ってくる情景だとしたら。即ち、この後半の主旋律が表現している主人公の感情が、最終的にはカタストロフを齎し世界を覆い尽くす…そういう風景だと思えてならないのである。

だとしたら、凄い。何故かって、ヒカルがEVAQの脚本を殆ど読まずにこの楽曲を書いたからである。旧劇版…つまり90年代の劇場版を見ているならこういう風景を描写する事自体に驚きはないが、新劇版の序破にはそういったセカイ系の要素は皆無だった。ヒカルは、この作品が"こちら"に向かう事を感じとっていたのだろうか。いやいや、『あなたの守ったこの街』という歌詞を書いているのだから、そんな風には思っていなかった筈なのである。なのに、EVAQで"復活"した碇シンジ君のセカイ系っぷり…彼の感情の起伏、気分によって世界の行方が左右され、結局はカタストロフを導く、という流れに、このアレンジはピッタリ合っている。或いは、破の最終場面にインスパイアされたのかもしれないが、あの時点でのQへの"次回予告"を見ておいて、そういう発想が出てくるだろうか…

…って言ってるけど、あれだな、そういう考えで最後に弦を厳かに響かせたのではないんだろうかな。私の妄想が過ぎた、という事で今回は(も)矛先を収めよう。


余談。EVANGELIONラテン語。日本語に直すと福音、英語にするとGood Newsである。そして、最初のその「よい報せ」とは、イエスの死からの復活であったそうな。この歌にも、"死からの復活"がきっちりテーマとして潜んでいるかも…という話の続きはまたいつか。