無意識日記々

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笑顔封印歌

桜流し秋川雅史が歌ったら結構ハマるんじゃねーかな…

「うーん…」という声が聞こえてきそうだが、何が言いたいかといえばそれだけ桜流しのメロディーと歌詞が従来とは異質だという事だ。インストゥルメントは紛う事なくBe My Lastの作曲者によるものだが(とはいえ、ポールの関わり方がどれ位かはまだわからない)、宇多メロ…なんじゃその変換…歌メロに関してはなかなか似ているものが思い当たらない。強いて挙げれば誰かの願いが叶うころか。更に歌詞となるとここまで美意識が強いのは初めてなんじゃなかろうか。そこらへんが、クラシックの歌手に歌わせても面白いんじゃないかと私に思わせる要因だろう。

前も述べたように、この曲の歌詞には茶化すような所や遊び心を感じさせる箇所が、全く無い。BLUEのような曲ですら、『あんたに何がわかるんだい』なんかは少し狙っているというか、言ってる事はキツいのだけれどどことなくユーモラスに響いていた。ヒカルの知性は、歌詞の中にどこかデタッチメントを入れてくるのが特徴だ。敢えて距離をとったような言い方を入れてくる。しかし、シリアス度が増してくるとそういう捻りや衒いは少なくなってゆく。テイク5やPrisoner Of Loveなんかがそれに当たるか。Wild Lifeでこの2曲が続けて演奏されたのは偶然ではない。歌詞のヘヴィさのグラデーションを考慮した結果であろう。あと多分曲のキーもね。

桜流しは、その最たる例であろう。ヒカルがこの曲をナマで歌う時、少なくとも楽曲の最中は笑顔を一切見せないのではないか。それ位重い曲だ。これって歌い手にとっては結構辛い。というのも、歌詞を間違えた時に照れ笑いでごまかすという手が使えないからだ。間違えたらもう目も当てられない。歌詞が出てこなくなったら"感極まって"嗚咽のようなアドリブを入れて凌ぐのが賢明だろう。

しかし、ヒカルは歌詞を間違えない気がする。この詞は余程の思い入れがないと書けない。既にヒカルの心にずっしりと刻み込まれている筈である。ナマでのパフォーマンスはプレッシャーだが、間違えるより感情移入し過ぎて涙で声が出なくなる事態なら有り得る。それは避けたい。この曲のライブパフォーマンスの威力は絶大である。今からそう断言しておこう。