無意識日記々

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『の』

6年前に「うただひかるた」を作った時にいちばん苦労したのが「の」のかるただった。一応「一読してすぐにその曲だとわかる印象的な場面」の歌詞を採用する、という基準を設けたとはいえマジでヒカルは「の」から歌い出す歌詞を書いていなかったのだ。結局、苦し紛れに尾崎豊のカバーである「I Love You」の歌詞で埋めさせてもらった。それが『桜流し』までのレパートリーでの話。

ところが、現在。『桜流し』以降即ち『Fantome』と『初恋』という新たな名盤を得た事で漸くヒカルのオリジナル曲のみで「うただひかるた」を総て埋めることができたのだ。

『残り香』。(のこりが)

歌い出しはおろか曲のタイトルまで「の」! これは画期的だった(とはいっても私自分で気づいたのではなく教えてもらったんだけどね)。逆に言えば、ヒカルはデビュー20年目目前のここに来て初めて「の」で始まる歌を書いたのだ。

これは多分偶然ではない。ヒカルがメロディと歌詞の音の組み合わせに拘りまくるのは周知の事実だろう。本来同じ曲である筈の『Simple And Clean』と『光』では歌詞に合わせてメロディを変えてきた位だ。つまり、ヒカルのメロディや歌い方を考えた時に「の」で立ち上がるフレーズはなかなかうまく乗り切らなかったのだろう。

ところが、アルバム『Fantome』以降で変化が起こる。最も顕著で象徴的だったのが同アルバムから最初にシングルカットされた『真夏の通り雨』における『ぬ』。『勝てぬ戦』の『ぬ』や『降り止まぬ』の『ぬ』の歌い方が今までとは明らかに違っていた。恐らく音楽家活動休止期間に自分の発声と発音を今一度見直し、総浚いしたのだろう。新しい「ぬ」、な行、Nの発音が曲全体の優美や柔和に一役買う事になった。

それを反映して、と言ってしまうのは性急に過ぎるものの、『残り香』というタイトルと歌詞の歌を発表できる段階になったのだろう。「の」から始まる歌詞がヒカルのメロディにうまく乗るようになったのだ。な行の歌い方を再検討することで。(あ、「の」以外のな行の歌い出しの曲は昔からありましたのよ、念の為。)

斯様にヒカルの楽曲は、歌詞・メロディ・歌唱が分かち難く創作上絡み合っていて不可分となっている。恐らくこういう曲を「シンガーソングライターならではの楽曲」と呼ぶのだろう。ヒカルがもし自分以外の歌手に曲を作るならまるで違ったものになる可能性も高いし、人の曲に歌詞をつけるとか人の歌詞に曲をつけるとかしてもまた違った様態が現れるに違いない。自作自演ならではの面白味を我々は享受しているのだ。