無意識日記々

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熊淡弐―選曲で推察する光の志向

Hikaruはデビュー当時以来"期待される洋楽路線"というものがあって、恐らく日本人で初めてインターナショナルに普通に活動できるミュージシャンとして、一体どういう方向性で行くのかが注目されていた。

ひとつは、アレサ・フランクリンやメアリーJ.ブライジのような、ソウルシンガー路線。確かに、確かな英語発音で本格的なソウル/R&Bを歌える日本人シンガーは今まで居なかったので、ここらへんを期待されるのは自然なところ。

もうひとつは、ケイト・ブッシュビョークのように、独自の世界観を独力で構築する孤高の音楽家路線。これも、今までHikaruのように独りでここまで作曲を展開できる女性アーティストは他に居なかったので、それを期待されるというのも頷ける。

つまり、シンガーソングライターとして、シンガーの面を期待されていたのが前者、ソングライターとしての面が期待されていたのが後者という訳だ。

しかして、今のHikaruはそのどちらの路線を進んでいるのかといえば、どちらでもあるような、どちらでもないような。例えばUtadaに関していえば、シンガーとしての実力を前面に押し出したのは2009年の2ndアルバム「This Is The One」の方だったし、ソングライターとしての実験性を前面に押し出したのは2004年の1stアルバム「Exodus」の方だった。両方の作風で、一枚ずつ作っているのだ。

これからは、どうなるか。それを推察するには、今の感性で選曲されたラジオのオンエアリストは格好の材料だ。ビョークエリザベス・フレイザーは孤高の世界観を構築する手腕が目立つアーティストだし、カサンドラ・ウィルソンやシャデーはその声に特徴のあるアーティストだ。やはり、どちらの路線にも興味を持っている事がわかる。

シンガーとしての評価とソングライターとしての評価は、恐らく、Hikaruの中で特に分けられている訳でもなく、つまり、これからもHikaruの作る作品は、全体としては、シンガーとしての側面に偏る事もなく、ソングライターとしての側面に偏る事もなく、その振り幅の中で自在に動き回っていくのではないだろうか。そして、その振り幅自体も、動き回るにつれ大きくなっていくだろう、そんな推察を、今回の熊淡弐からは感じとる事が出来た。これからどうなるかなんて確かにわからないけれど、『長らく歌っていきたいので』の一言を信じて、具に見守っていきたいと思います。