無意識日記々

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3つの自分を大切に。

人が死んだ時の反応には二種類あって。「どうしたら助けてあげられただろう」というのと「どうやって弔ってあげよう」というのと。

両方ないと世の中回らない。しかし、直接の遺族はまず後者に頭を回そう、と提案したのが22日夜の私の日記だった。今の光に前者と向き合えというのは酷過ぎる。何かやらなきゃいけない事があった方がいい。

光の絶望と悲しみがどれ程のものか想像もつかないし、というか想像しようとしただけでこちらの涙腺が決壊してしまいそうなので素直にそれは避けとく。ここはもっと無責任に、いちファンとしての要望とそれに伴う気持ちを素直に書く事にしよう。

話はシンプルで。今Hikaruとこちらを結ぶ線は3つしかない。Message from Hikki & Mail To Hikki と @utadahikaru と KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru だ。最初の2つはHikaruの気持ちが整った時に書いてくれればいい。相変わらず待つのは慣れている。ここはあんまり義務感にかられる事なく、純粋に、書いて伝える事が光の力になる時に書いてくれれば。

問題は3つめ。ラジオ番組だ。気が早い? いやいや、かなりあの番組気合い入ってるぞ。かなり早い段階から準備を始めないといけないクォリティーになりつつある。今月中にも、やるかやらないか決めないと間に合わないかもしれない。

勿論、今回の事態は、もっともっと重いものだ。まるで小津を喪った後の原節子のように、もう二度とHikaruが人前に姿を現さない事態も我々ファンは覚悟せねばならない。そこまでになる事を斟酌し、受け入れる事が「光の気持ちを思いやる」事だと思う。つまり、永遠の引退である。私は今回の衝撃はそこまでのものだと思っている。

だから、彼女の事を真剣に思うなら、私はここで筆を止めるべきだ、という事になる。しかし私は筆を止めるつもりはない。彼女の気持ちを踏みにじった上で、「まだまだ光の声が聴きたい」とワガママを言う事にする。自分勝手ってこういう事かと感心せざるを得ない。

しかし。そうであるからにはKUMA POWER HOUR with Utada Hikaru がepisode 4で番組として終了してしまっても仕方がないし、ましてや来月の放送を期待するだなんて馬鹿げているにも程がある。しかし、ラジオで喋るHikaruは本当に楽しそうだ。あれをもっと聴きたい。あの声をもっと聴きたい。一縷でいいから、番組が存続する方法を考えてみたいと思う。

現実的に行こう。ビジネス上は、今、圭子さんはU3MUSICと関わっていなかったとみるべきだろう。つまり、仕事上で穴が空いているという状況ではない。しかし、遺体の身元引受人を照實さんが請け負ったという報道もある。彼によるマネージメント業が暫く機能せず、スケジュールの回復に数ヶ月を要するという可能性も考えられる。幾ら制作をHikaruがひとりで請け負っているとはいえ事務所が機能しないのではそもそも仕事の話が出来ないだろう。まずある懸念はその点だ。

反対側の懸念もある。Episode 5の放送予定日は9月17日。藤圭子さんが亡くなって1ヶ月にも満たない。このタイミングで、果たしてリスナーの方は冷静にHikaruの話し声を聞けるだろうか。何とか格好がつくのは藤圭子追悼特集だが、これから方々でそんな番組があるだろうし、何より、光の精神にとってそれは公開処刑になるかセラピーになるか非常に難しい。物凄く判断がつかない。本人も、かなり気持ちが落ち着いてきた段階でもやってみないとどうなるかわからないのではないか。しかし一方で、それが非常にいい区切りになる場合もある。危険な賭けになる可能性が高い。


InterFMの方は、担当者の方々には申し訳ないが、少なくとも9月の放送が無くなる事には文句は言えないだろう。局の体質もあるだろうが、一般的に現在の日本では50日目の忌明けまでは供養の期間として認められてもいいと思われる。しかし、労働者・会社員の感覚としてはたとえ実母の逝去とはいえ忌引きは一週間から十日くらいが限度では、という意見も有り得る。難しい所である。

ここでまた、22日夜の議論を蒸し返さねばならない。人間活動をどこまでどう捉えるか、である。当然宣言をした三年前はこんな事態は想定していなかった訳で、あらゆる前提が覆ったのだから「総てはなかった事に」となっても筋は通ると思う。しかし、Hikaruの決意がかなり重いものであったのもまた事実で、であるならば、"親が死のうが"、最初の決意の通りに、普通の人間としての活動をすべきという言い方もできるし、"親か死んでしまったからこそ"余計に人間活動の精神を徹底すべきだという事も出来る。ここはまさに、光がどれほど自分の人生を大切に考えるかにかかっている。

自分の人生を大切に考える、と一口に言ってもそれには3つある。ひとつは、今まで生きてきた自分の人生を大切にする事、ひとつは、これから生きていく自分の人生を大切にする事、そしてもうひとつは、今を生きている今の自分を大切にする事である。

今までのHikaruがその人生で築き上げてきた様々な功績は素晴らしいの一言に尽きる。そして、その中でHikaruは様々な人々に大きな大きな「生きる力」を与えてきた。寧ろそれこそがいちばんの功績かな。Hikaruに対する感謝の気持ちを伝え切れていない人間が世の中には山ほど居る。そのお礼を受け取る権利がHikaruにはある。その為だけにでも、生きねばならない。しかし、Hikaruには関係のない事と言ってしまえばそれまでかもしれない。

Hikaruが今後も音楽家を続けば生まれる筈の音楽が、必ずある。未来。しかしそれを生むか生まないかもHikaruの自由だといわれればそれまでかもしれない。うぅむ。

今を生きている光。生きてくれ。これは俺らが毎日祈っている事だな。特に今回の事態とは関係がない。

生きていくのに、音楽活動を辞めるのがいいならそうしてくれ。生きていくのに、表立っての活動も必要になるというのなら、時機を見計らってラジオ番組にも復帰してくれればいい。


という訳でワガママプランを。KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru は続けるべきだ。まず、9月の放送は休んでも構わないだろう。聴く方もまだ気持ちの整理がついていないかもしれないし。もし放送をするのであれば、全く何も触れないのは不自然だから、少しは(或いはまるごと)番組内で追悼の気持ちについて触れた方がいいだろう。しかし、実際に番組作りをする過程では感情が抑え切れなくなるかもしれない。なので、例えば少し締め切り日を早めに設定し、もし出来上がらなかったらごめんなさいという事でInterFMに予め断りを入れて制作に取り掛かってみる、というのでもいいかもしれない。そこは、柔軟にいきたい。

9月に一度休むなら、10月からは通常の番組構成でいいだろう。世間的にも、落ち着いている筈だ。ただその場合、メッセかツイートで予め今回の事に関してメッセージを送っておいた方がいいかもしれない。放送にしか触れない人も中には居るかもしれないが、そういう人は、時間経過的にも「ああ宇多田頑張ってるのか。健気だねぇ。」位に捉えてくれると思うのでそんなに気にしなくていいだろう。メディアのみなさんも宣伝してくれるだろうし。2ヶ月という時間は、かなり強力に協力してくれると思う。


もう一度繰り返しておくが、今回の件は、Hikaruがこれっきりで一生表舞台に姿を現さなくなっても全く不思議ではない位の、重い重い出来事である。私だってそれ位わかってる。わかってるから、だからワガママを言うのだ。感情の問題はどうしようもない。しかし、Hikaruが歌っているのを俺が聴いていない世界は俺は嫌だ。うん、それだけ。