無意識日記々

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小さな小さな家族

藤圭子さんが亡くなってから7日が経過した事だし、そろそろ軽めの話題でも…と思っているが、無理かなぁ。

葬儀を行わないのなら、そこから後の法要もないのだろうから、遺族は気持ちの踏ん切りをみつけるのが難しい。忌明けをキッカケに気分一新、とはならない。儀式は精神の現象化なので、特定の宗教に頼る必要はないが、何らかの形ではあった方がいい。光の悲しみの深さを考えると、周囲もその手助けをするべきだ。

とはいえ具体案がこちらにある訳でもない。儀式とはいえ極々プライベートな話なので宇多田光氏の私生活を知るものでないとアドバイスはできない。

メディアを通じて(といってもオフィシャルサイトやメルマガやツイートはかなり"直接"なので"中間"という感じは少ないのだけど)接している身としては、そちら側の顔を考えてアイデアを出す事になる。

すぐさま思いつくのは、KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru だろう。以前述べたように、タイミングとしては9月の放送は休んでも仕方がないだろう。寧ろファンからは積極的に休んで欲しい、という意見も出てきそう。それはHikaruの状態次第だが、"全く何も触れない"のは流石に違和感がある為、放送するならちょっとだけでも言及する必要がある。

一時間まるまる藤圭子追悼特集というのは、私は望む所だが、放送局としては少し無理かもしれない。国際色を押し出しているInterFMで一時間演歌が可能かという問題。それならば、例えば藤圭子が好んで聴いていた洋楽特集、なんてものなら可能かもしれない。

しかしいずれであっても、Hikaruの精神状態次第であるというのは変わらない。ほんの少しでも肉声で追悼の気持ちを公に伝える事で、Hikaru自身も吹っ切れるキッカケを掴めるかもしれない。吹っ切らなくてもいいじゃないという見方も有り得るけれど。そうなるとこれは先述した"儀式"にあたるだろう。プライベートはわからないが、社会的な存在としてのUtada Hikaruは、人間活動中とはいえある意味「復帰」できるかもしれない。

この「賭け」を実際に行うかどうか。Kuma Power HourはHikaruの独力で成立している番組であるから、相談相手が居ない。今のHikaruに冷静な判断を下せというのも酷だ。照實さんに出向いてもらって…と思っても、彼だって悲しみの深さはHikaruと変わらないだろう。付き合いはずっと長いんだし。となると、ここで詰む。正直どうしていいかわからない。


この小さな小さな家族が背負ってきたものの大きさに、あらためて溜息を吐く。この、何の後ろ盾もない"ユニット"が昔も今も日本中を騒がせている事。不可思議だが真実だ。芸能界とは、馴染まない筈である。