無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

カバー馬鹿(回文)

復帰第一作めがカバーアルバム、という事はないと思うので、Hikaruが作ってみたいと言っていたカバーアルバムが形になるのは随分と先の事になるだろうなぁと思うが、作ったらそりゃあ素晴らしいものになるに違いない。

i_の庵背無…って何だよその変換…愛のアンセムは、カバーでありながらソングライターとしてのセンスを前面に押し出した作品だった。Spainのトラックをシャンソンのスタンダードナンバーに使うって発想は一万年待っても出てこない。

Hikaruがカバーアルバムを作るとなると、そういった"発想勝負"になるのだろうか。何の変哲もない、「それってコピーっていうんじゃないの?」ってトラックは作って来そうにない。ソングライターの矜持にかけて。

しかし一方。そう、Wild Lifeの愛のアンセムを聴いた時、皆が「何て素晴らしい歌唱力!」と驚嘆したと思うが、それは何故かというとあのバージョンが「何の変哲もないカバー」だったからだ。ピアノ一本でヒカルが朗々と歌う。ただそれだけ。ソングライターとしての矜持とか全然関係ない。いや、詞は自分で書いてるから、半分は関係あるんだけど、何が言いたいかといえば、お客さんが期待してるのはこっちなんじゃないの?という事だ。

何も知らない人は、ジャズのサウンドに無理矢理シャンソンを併せたバージョンに「?」となっても不思議はない。リズムが複雑になったお陰で歌い方が窮屈になってすらいる。多くのリスナーにとって、トラックの面白さなんて二の次だろう。皆こう思う。「あの名曲を宇多田ヒカルの抜群の歌唱力で」と。作曲家宇多田ヒカルの出番はなしである。

確かに、言いたい事は痛い程解る。私も、SMAPxSMAPで「青いイナズマ」をヒカルが歌うのを聴いた時、「ジャニーズの子たちに潰されてきた名曲佳曲の数々をヒカルが全部歌い直してくれたら」と思わずにはいられなかった。明らかにヒカルの歌唱力は日本の至宝である。しかし、作曲家Utada Hikaruは世界の至宝なのだ。彼女自身は、歌に対してどういう思いでいるかというと、あれだ、青いイナズマと同じ時に、かの"ジャニーズ・シンガー"の代表格中居クン(てもう四十路のオヤジだっけな)が「ぼくはくま」を歌っている時の嬉しそうな顔。あれである。作曲家Utada Hikaruは、自分の書いた曲を人に歌ってもらえれば、それがどんなに下手でも嬉しいのだ。ぼくはくまはその中でも突出しているけれども。そういう人なのです、たぶん。

とするなら、Hikaruがその歌唱力を"ひけらかす"カバーアルバムを作ってくるとは、到底考えられない。やはり、愛のアンセムのように、一捻りも二捻りもある"作曲"をしてくるんじゃあないかというのが(私の)専らの予想である。歌唱力を"誇示"(本人にそのつもりはないだろうが、形式的にそう書いておく)するような場面は、尾崎豊にしろGREEN DAYにしろ、LIVEの場面に限られるだろう。そこを踏まえておきたい。

つまり、もしHikaruが今後カバーアルバムを"スタジオ・レコーディング"で制作しようというのなら、恐らく皆の期待とは違う、凝りに凝ったカバーバージョンがずらりと並ぶだろう、という事だ。もしそっちに行かず、ただ歌いたいだけ、というのなら、カバーアルバム制作は"ライブ・レコーディング"でやるべきかもしれない。

いずれにせよ、Hikaruに関しては常にソングライター/作曲家としての側面とシンガー/歌手としての側面を分けて考えなくてはならない。それぞれの思考は異なるし、成長具合もまちまちであるから、いっぺんに考えると誤解が招かれる。まぁ、いちばん理想的なのは鼻歌がそのままになったぼくはくま…つまり、歌う事と作る事が同時におこなわれてしまう事だが、そういう理想形はなかなかないからなぁ。

なので、もしかしたら、みんながいちばん欲しいのは、一晩だけHikaruがカバー曲を歌うだけのコンサートをやって、その公演をDVD化したものなんだろうな。そっちなら、結構可能性があるかもしれない。いずれにせよ、でも、やっぱり、ずぅっと先の話だろうなかなぁ。