無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

啓語訓の警告

@u3music: そう願いたいです。生身の人間、特に心が繊細なので気を付けてあげたい。アップダウンは誰にでもあるさ。teruzane RT @show5rin ヒカルさんの体調は快方に向かわれているのでしょうか?詳細がわからず、すごく心配しています。ほんの少しでも状況を教えて頂けると嬉しいです……

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訊いてくれた方も応えてくれた方もありがとう。それが知りたい事でした。

もっとも「願いたい」って「わかんない」って意味だけどもね。彼がわからないと知れたのは大きな前進です。大事なこと、大事なこと。(…なので2回言いました)


そいや前回の話、「手袋じゃなくね?」と突っ込まれそうだけど、あれ実際何なんだろーね。何でもいいけれどね。あの写真が撮れた、撮られたという事実が重要なんだから。


独り言。意外かもしれないが、私はこの日記で他人を啓蒙したくない。それは意図していないのみならず、勝手にそうなっているとしたら積極的に否定したい、という感情である。私が他者に期待したい事があるとすれば、「自分で感じて、自分で考える」事だ。You can feel, you can think. 私の書いた事、考えた事をそのまま鵜呑みにするなんていちばんやってはいけない。必ず批判的に読んで欲しい。人が考える契機を与えたとすれば、それは間違いなく望外の喜びである。その上で私と意見が同じになったというのなら、その時初めて喜ぼう。

しかしそれは理想論だ。人は疲れる。自分の言いたい事や感じた事を代わりに書いてくれている人を見つけられたら嬉しい。俺だって嬉しい。わざわざ書く手間を、カロリーを、時間を節約出来るのだから。だが、ずっとそうやって読んでいると、いつの間にやら他者の思想に浸食、いや侵食されている。敢えて、ならまだいい。しかしその侵食は、大抵いつの間にか、無意識のうちに進んでいるものだ。この日記を読むなら、必ず疑って欲しい。眉に唾をつけてほしい。注意深くなり過ぎる事はない。

そう考える私だから、勿論Hikaruからのメッセージですら批判的に受け止める。Hikaruは最初「Twitterはやらない」と言っていたが、私はそうは思わなかった。必ずこのツールはHikaruの役に立つ、と。今後はどうなるかわからないが、今までの3年半は確実に役立っていた。Hikaruだって判断ミスをする。出来れば、それを事前に見抜きたい。

何よりも、「疑う自由」である。疑心暗鬼にならず、健全に、笑顔で人の言う事を疑うのは思いの外難しい。しかし、言い切ってしまおう。疑える事それこそが自由そのものであると。弱くても生きていける。そんな世界が私は好きだ。