無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

今後に向けて案外重要なエントリ

照實さんテキトー過ぎ(笑)。

ま、それはいいとして。

さっきまでRenaissanceのライブなんてものを聴いてたもんだから、誰の歌を聴いても下手に、雑に聞こえてしまう。出来る限り控えめな表現を用いても、「アニー・ハズラムは20世紀プログレッシヴ・ロック史上最高の歌手」以下には成り得ない。本当に全部これナマで歌ってたんかな。誤解を恐れずにいえば、これぞ本物の人力ヴォーカロイドといえるのではないか。正確無比にも程があるよ。

Hikaruの歌唱の「不安定さ」が魅力だと言う人は多い。いや、多かったというべきか。WILD LIFEに至る頃には抜群の安定感だった。それにより失われたものもあった、とオールド・ファンなら言うだろうかな。

ある意味、最早人を不安にさせる、心配させる、心をそわそわさせる―いや、ぞわぞわかな? そういった点に関しては、他に類をみないレベルになっている。何だろう、ここまでくると「不安エンターテインメント」とでも名付けたくなってきた。昔はナマ歌にハラハラドキドキ出来たが、最近は(ってもう3年以上人前で歌ってないけどな!)きっちり期待に応えてしまうので、他の部分で不安エンターテインメントの需要に応えている。一回は仕方ないにしても、三回熊淡を休んだのは見事なものだった。どれだけあれやこれやとファンに心配をかけたかはここに改めて書くまでもないだろう。


しかし、アニーハズラムの歌声を聴いていて、ちょっと考えが変わった。Hikaruの歌声は、今でも十分に不安定である。上には上が居る。マイクロフォンを使ってライブで歌を歌う人の中には、アニーのような精度で歌えてしまう人も居るのだ(彼女だけな気もしますが)。わざわざ他で不安ニーズに応える事もない。もっとナマ歌の精度というものは、上がる筈なのである。

という訳でHikaruが復帰した暁には、今まで以上にナマ歌に対して手厳しくいこうと思う。正直、2006年の頃、ウタユナの時の私はネット上でライブでの彼女の歌唱を全力擁護していたのだが、次は寧ろ「もっといけるだろ」という風に攻め込んでいきたいと思う。

まずは、どれだけAutomaticに、自動運転で歌えるかだ。今回Luv Liveをじっくり聴く事で、ボヘサマ千葉マリンのヒカルの歌唱が如何に"慣れ"を伴ったものであったかを痛感した。やはり、それだけ余裕があるとエンターテインメントとしての幅というか、安心感が違う。何も考えなくても気がついたら完璧に歌えていた、となる位まで精度を高めてみてほしい。


しかし、そういう"完璧さ"って、果たしてファンは…という話からまた次回。とはいえ、次はまたGive Me A Reasonに戻るかもしれんし、B-side Tracksの次の曲に行くかもわからんし、どうなる事やら。いきあたりばったりでいきますよ宇多田家に倣って。