無意識日記々

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死生観その7(仮)

その7では光が生まれる。それ以上書く事はない。以下はあとがきである。

父と母から子が生まれる、というのは生物の仕組みのひとつだが、それが人間の精神に何を及ぼしてきたかを考えると難しい。非対称。生んだ母は特定できるが生ませた父は誰だかわからない。それを破るDNA鑑定を宗教が赦しているのはどう解釈すればいいのやら。進化論ですら否定したがる向きが居るというのに。

技術的だったり精神的だったりで煩わしい。話の焦点を絞ろうか。光にはじまりをあたえたのは父と母だ。母は間違いがない。父を疑うのは一般常識から考えて凄まじく非礼だし私もこの具体例に関しては疑ってないが(だってあの生まれたての写真を見たらソックリなんだもん、父親に)、そういう話である事は心に留め置こう。なぜなら、それが父性にとっての救いだからだ。他人事。恐怖を与えられるのはそこしかない。そうやって振る舞う事を許される。つくづく、子は光だと思わざるを得ない。

母も生き方を子に肯定される。自己犠牲的と言われそうだが、死に方について積極的な考察ができる女性は大抵母親である。「この子の為なら命を投げ出してでも」というのは如何にも母性だ。父親だってそう思っているんだけどその迫力にはかなわない。最初に身を切っているのだから敵うはずもないんだが。

子をもつ事で、人は死について、生について改めて考える。やっぱり、その7に関しては自分がそうなってから書くべきだな。タイトルに「(仮)」と付け加えておいてここでぶっつり切ってしまおう。また来週。