無意識日記々

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まずはサザエさん時空タイプから

熊淡を聴いてると、31歳になっても昔からの繊細な心根は全然変わらんなぁと痛感する。ほんとにこっちの心がちくちく痛く感じる。キュンキュンと紙一重と申しますか。今は寧ろ心を覆う壁が筋肉質にマッチョなり過ぎてその繊細な神経を圧迫しちゃってるんじゃないかと思うくらい。無邪気なままでは居られはしないが、大人になるのも、何というか、不恰好なものだな。こんな神経の人がマスメディアと触れ合うのがそもそも間違っているのだが…

…面白い話になりそうにないので、筋を元に戻そう。我々はミュージシャンに、どんな"時空"を求めるのか、という話。


20世紀最大の"サザエさん時空"を形作ったのはオーストラリアのロックバンドAC/DCだ。1975年とかデビュー(国によって違うのだ)だからまさに40年にわたって彼らは(途中メンバーチェンジを挟みながらも)ずーっと同じ音楽性を貫き続けた。ニューアルバムを出すたびにその音楽性の変化が話題になるアーティストも多いが、AC/DCに限ってはひとつもそういう話題が出た事がない。プロデューサーによって音作りが多少違う程度だ。

彼らの何が凄いって、兎に角凄まじく売れたのだ。どれ位桁外れかというと、彼らの代表作「バック・イン・ブラック」は、アメリカでは長らくマイケル・ジャクソンの「スリラー」に続く歴代総レコード売上第2位の座に居座り続けてきた程。(今は知らない。ボディガードのサントラやらイーグルスのベストに抜かれたとか何とか。それでも4位だけど)

そして、勿論このアルバムに限らず、彼らは出すアルバム出すアルバム軒並みヒットさせている。なによりいちばん圧倒的なのはLIVEのスケールが一向に落ちない事だ。何が言いたいかといえば、40年間ずっと音楽性を変化させなかったロックバンドを大衆が支持し続けてきたという事実。これである。いつ買ってもAC/DC。いつ観に行ってもAC/DC。そこには何のサプライズもない。いつも通りのヘヴィ・ロックとかわりばえのしないロック・ショウ。それがずっと40年間求められてきた。今も彼らは新譜リリースの準備を進めている。現役バリバリである。

しかし、では40年間本当に何も変化がないかといえばそんな事はない。まず、ファン層が分厚くなった。AC/DCのLIVEは親子孫3世代がやってくるというので海外では有名である。ここ日本では残念ながらそういう雰囲気ではなかったが。長年同じ事を続ける事で、音楽はずっと同じでも観客の方が歳をとり、ファン層が成長していく。これは大きな変化である。

もうひとつ、音楽の流行との関係である。AC/DCにとって、その時々の流行は追い風にも向かい風にもなった。その都度、彼らは市場の中での立ち位置、いわば相対的な価値を示し続けてきた。向かい風の時は頼れる最後の砦として、追い風の時はシーンを代表する王者として、その時々で見方が、見られる角度が変わっていったのである。つまり、彼らは、自らが全く変わらない事で、ファン層や評論家や市場を変化させてきたともいえるのである。日本では全く人気はない(さいたまスーパーアリーナを埋められる程度)のだが、明らかに20世紀を代表する"金太郎飴"バンド、不変の美学を貫き通したミュージシャンである。

さて次回は、何時空タイプのミュージシャンの話をしたものか。いいのかこんな内容で? ま、いっか。