無意識日記々

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出木杉・弥七・ウルトラマンゾフィ

一般ファンからすれば宇多田ヒカルドラえもんでいえば出木杉君みたいなもんで、レギュラーじゃないんだけどたまに現れては誰も文句を言えない事をして去っていく、みたいなキャラクターな気がする。ハレー彗星みたいなもんだろうか。ラジオでたまに昔の曲がかかるけど、あれだけ売れたのに市場のリーダーとかではなくて…という立ち位置。そもそも、なんていうんだろ、普段の計算に入ってないよね。

それを言うなら80年代のユーミンだって"他の追随を許さない"孤高の存在だった訳だが、彼女の場合毎年のアルバムリリースとツアーのサイクルをキッチリと遂行していたので、存在自体がひとつの産業として成立していた。そこが違う。あの徹底した産業化路線が90年代のJpopの礎になったし、彼女も後からそれに乗っかれたのだ。

そんな構図なので…一般のファンは宇多田ヒカルにさして何の期待もしていない、ような気がしてきた。関心の埒外というか、"アテにされていない"ような。こういうと変だが、仮にまたFlavor Of Life級の特大ヒットが生まれても"宇多田ってやっぱ凄いな"と言われて、それだけのような。結局出木杉君扱いだな。英才である事は間違いないんだが…。

私のよく言う「宇多田待望論」は、つまり他人事なのだ。それで何かが変わる訳ではない。水戸黄門サザエさんが与えている最大のものは"安心感"で、これはヒカルが最も提供出来ないもの。かといってじゃあその生き方がスリリングで目が離せないか、というと別に…「今度は何をやらかしてくれるんだろうか」みたいな下世話な期待感も無い。そしてファンはといえばいつも心身の健康に気を揉んでいる始末。出木杉君に病弱設定はないんだが。それは三杉君だっけ。

音楽的に期待されているのは毎度お馴染みKH&EVAで(ってこれ毎回書いてるからなんだかユニット名みたいになってきたな)、これに関しては見事にファンに安心感を与える事に成功している。作風としても、世界観に合致するものが期待されている。ここにおいでは、宇多田ヒカルは重要なレギュラー出演者だし過去と現在と未来があり、商業的にもサイクルが成立している。ただ、EVAも含め、あんまりヒカルは顔を出さない。例えばテレビや雑誌に出て「今度のEVA観てくださいね〜」とは絶対にやらない。キャラじゃないってだけだけど、制作陣の一員かといえば少し距離がある。水戸黄門でいえば風車の弥七ポジションだろうか。出てこなくてもそれはそれで。助さん格さんとはちと違う。ウルトラマンでいえばゾフィのような。

やれやれ。ドラえもん時空と対比する筈が出木杉君扱いをして終わるとは。難しいなこの話題。次回は更にもうひとひねりしてみるか。「宇多田ヒカル宇多田ヒカルのファンなのか?」で書いてみよう。