無意識日記々

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「よかった。」―この一言が…

広島の土砂災害はそれは恐ろしい事態になっているようで、1つでも多くの命が救われる事を願ってやまない。勿論広島にも宇多田ヒカルファンが居る訳で、彼女の歌にのほほんと耳を傾けられる平凡な日常が戻ってくる事を祈る。

日本は元々地震国で台風の通り道な為自然災害が多い。しかも四季がある為暑い方にも寒い方にも災害があり、片方に偏らない対処が求められている。しかし昨今最も注力せねばならないのは"夏の亜熱帯化"への対応だろう。日本の夏は変わった。「真夏日」なんてそうそうある事ではなかったし、「猛暑日」なんて言葉はつい最近設定されたばかりだ。まだまだ対応は成熟していない―習慣化されていないとみるべきだろう。

昔は「熱中症」といわず「日射病」と言ったものだが、では日光を避ければ大丈夫なのかといえばそうならなくなってきたからこう呼び換えられてきているのだろう。暑くなった。実感もデータもそれに反するものはない。


光は毎年、夏が来る度に明後日の日付と向き合う事になる。私の祖母は三桁到達後の大往生だったので、さして後悔はない。今日が彼女の命日なのだが、思い出すのは延々茶菓子をつまみながらお喋りした事や振る舞ってくれた料理や一緒に昼寝した事や…そんな感じである。彼女の絵を描いて何やら市から賞を貰った事もあった。5歳位の事だけど。沢山の楽しい日々を過ごさせて頂いたという感謝と感傷の気持ちがいちばん大きい。居なくて寂しいというのは勿論あるのだが、それ以上に「楽しかった。ありがとう。」である。死に方がどうのだなんて事はまるで関心がない。


メッセにもあったように、明後日に光が思い出す思い出が、そういった笑顔に溢れたものであって欲しい。残虐な言い方をすれば、死に方がどうであったとしても、今ある事実はただただもう彼女は居ないという一点のみであり、また、彼女と過ごした日々はもう真空パックされて手がつけられないという事だ。それに対して、いろんな感情がある。後悔や、悲しみや、もしかしたら憎しみも含まれているのかもしれない。一周忌では時期尚早というのは重々理解しつつも、笑って思い出を語り合える日に、これから毎年していって欲しいのだ。

ヒカルの母ちゃんは凄い人だった。年配の人と話すと100%母の話題になる。凄い。これからは、遠慮する人も居るかもしれないから、ウザがられようが自分から「奴ぁおらの自慢のおっかぁだべ」と切り込んでいく事にしよう。笑顔があれば勝てる。悲しい死に方の話より、あの歌声の強さと繊細さを語りたい。強い正義感や茶目っ気を語りたい。これもメッセにあった通り。命日とは、そういう事を語り合う日である。死に方なんて関係ないのだ―私がそう繰り返すたびに「あんたがこだわってんじゃないの」という気持ちが湧いてきて困惑するのだけど。全くもってその通りだわ。


夏だ。また小津の「東京物語」を見たくなる。


で、出来れば次のステップとして、「おらのおっかぁは凄かった。でもおらの方がもっと凄い。」と何の迷いもなく言えるようになる事。それがヒカルにあり得るか。もし言えるようになったとしたら、それはまさしく宇多田純子の人生を全肯定する事を意味する。強腕だが、確実だ。子の義務ともいえる。「よかった。」―この一言が、言えるのだ。まだまだやるべき事は山のように、それこそ死ぬまであるのだから。