無意識日記々

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ほうそうなのか

若者のテレビ離れ、と言われて久しいが、視覚がインターネット接続端末に分散しただけで、そこまでテレビが没落した訳ではない。ラジオも然り。聴覚が以下略。

テレビやラジオと言った時、明確にわけておくべきポイント2つある。ひとつは、コンテンツとしてのテレビラジオ。要するに番組だ。もうひとつは、メディアとしてのテレビラジオ。つまり電波による放送媒体だ。この、番組と放送というものを一旦分けて考えないと話が混乱する。

番組というのはソフト、つまり映像や音声の事。これを流すだけならパソコンや携帯電話で十分。なぜならそこにはディスプレイとスピーカー/イヤフォンがあるからだ。

放送というのは、真ん中にでっかい電波塔をおっ立ててそこから電波を放ち端末に受け取らせる事。インターネットと違い、流しっぱなしの一方通行だ。

しかし、電波というのは周波数に限りがあるので、土地のように分譲分割して使用する。

そして、テレビラジオには限られた周波数/チャンネルしかない。地上波だと、せいぜい十数個だろう。ここが何より重要だった。

ラジオ局テレビ局は、その限られた数のチャンネルを、全国津々浦々に放送した。そのシステムが、いちどに何千万という人々が同じ番組を見るという状況を生み出したのだ。

紅白歌合戦が80%を記録した、などの数々の記録は、つまり、他の選択肢が希少だったから起こった事だ。もし仮に地上波が今のCS放送のように何百というチャンネルが横並びになっていたとしたら、ここまでの一局集中があったかどうか。あクマで"横並び"が前提だけど。

この、チャンネル数を絞る事による"供給の寡占"が、テレビの強さを生み出した。家に帰ってきてテレビの電源スイッチを押す、チャンネルを合わせる、というシンプル極まりないツーステップのシステムによって、一億もの人間に対して一定の視聴習慣を身に付けさせたのである。

この"放送"の枠組みがある限り、たとえスマートフォンが1人1台になったとしても、テレビラジオを上回る影響力をもつ事はなかなか難しい。番組の面白さ云々の前に、システムで既にもたらせる影響力の大きさが決定づけられているのだ。


…ラジオとテレビの影響力でブレイクした15年前の話をするつもりだったのだがこの調子だといつになるやら。ま、いっか。