無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

温度差の大きな季節ですねぇ…

極普通の「トリビュートアルバム」なら幾つもみてきた。LAで暇を持て余したミュージシャンたちが小遣い稼ぎにレーベルの物好きな人の提案にのっかってワンテイクだけ録音して去っていっただけ、みたいなの。別にそれで構わないのだ。「あの人の書いた曲をこの人が歌ったらどうなるだろう?」という素朴な興味に対して「実際にやってみましたよ」とトラックを寄越してくれたらいい。tributeという仰々しい響きの割に、本当に気楽なものだし、こっちとしても軽い気持ちで聴ける。

そこを特設サイトを作って試聴会の応募をして、となってるから無駄にハードルあがっちゃうよ、というのが前回までの話。ラインナップ発表が遅れれば遅れる程妄想と期待と噂が膨れ上がって落胆が大きくなるよ、とも言った。

でもまぁこうなってしまったものは仕方がない。実際、感触として、いつもなら「ここの読者なんだからこれは当然購入しているだろう」という前提で話を進めている所を今回ばかりは「半分以上の人は買っていない」体で話を進めなきゃいけないかもな、というのがある。私は当然買うんだが。

そこに、ギャップがあるんだよなぁ。予定通り、発売までは難癖と愚痴を書き続けるが、いざ発売となって音源を聴いたら私は多分ノリノリであろう。ヒカルの曲がズラリと並んでいるだけで嬉しくなる人間だ。オルゴールバージョンとかもついつい買ってしまう。そりゃあ、テンションが高い。

ただ、そこで分水嶺となる基準があって。「ヒカルがダメ出しをしたかどうか」だ。そもそも、報告は受けていても出来上がりに対して口を挟んでいない可能性が高い。梶さんの口調だと、ヒカルの名前はクレジットに記載されない感じなのだ。例えば一回聴いて「いいんじゃない?」「ダメかなぁ」と一言添えるだけでも"監修"とか"監修補"みたいなクレジットがつく。というかつけられる。それをしていないという事か。もし仮にヒカルがOK&GOサインを出したトラックのみ収録されているとしたらクォリティーは保証されたも同然だ。安心して聴けるというもの。しかし今回それはなさそうなのだ。まぁ仕方がないか。

唯一、ヒカルがクレジットされそうな役職といえば"エグゼクティブ・プロデューサー"、つまり名誉職である。彼女が居なきゃ始まらない企画だったんだからな。それでもいい。

ただ、一度口を挟むとどこまでも深入りしてしまうだろうから入口に入る前に踏みとどまっていただろう。大体は事後報告に、なるんだろうね。


ひとつ、楽しみ方のコツというのを。残念ながら歌唱力に関してはヒカルを上回る人は居ない。宇多田ヒカルの歌を歌わせたら宇多田ヒカルが宇宙一なのだ。グリーンデイの歌を歌わせたらグリーンデイが宇宙一ではない事を知っている皆さんなら、これが非自明かつ真実である事を感じ取ってくれるだろう。難しい文章だな。

しかし、それぞれの歌に合ったアレンジを、各自が施してきて、それぞれの持ち味を競う形にはなっているだろう。即ち、何が言いたいかといえば、今回の企画盤は「カバーアルバム」というより「リミックス・アルバム」のつもりで聴いた方が楽しめるかもよという事だ。

カバーというとどうしても歌の比較に行ってしまいがちだが、今回はすっぱりすっかりすっきりそこを諦めて(笑)、アレンジやサウンドがオリジナルとどう違うのか、というのを聴く方向でいけば、ヒカルが歌っていない事もあまり気にならなくなるのではないかと。普通リミックスといってもヴォーカルはあまり変わらないものだが(歌を固定するからリミックスサウンドのオリジナルとの違いが際立つんだ)、今回は歌自体までリミックスの餌食になっていると思えばよい。

その点、基準がひとつある。誰かひとりでも、ヒカルの実際のバックコーラストラックを従えて歌ってみてはくれていないだろうかな。大体、カバーというのは演奏をいちからやりなおすものだが、今回の企画盤の最も異質な点は、オフィシャルからの提案だったという事だ。何が可能になるかといえば、ヒカルの持っている既存の素材を使いたいと申し出たらもしかしたらOKが出るかもしれない、という事だ。ヒカルのバックコーラスの流用はその最たるもの。誰か本当にやっててくれんかねぇ。

という訳で、テンションのなかなか上がらない人たちも、無理しないで(笑)、しばし私の難癖と愚痴に付き合っていって欲しい。たぶん発売になる頃にはこの企画盤に妙な愛着みたいなもんが湧いてきてると思うから。ふふふ。