無意識日記々

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交差点

「名盤」と呼ぶに相応しい出来映えではないか。「宇多田ヒカルのうた」は。ここまで一つの作品として力強いとは、失礼ながら思いもよらなかった。ファンの中でも多分私がいちばん今作に対する期待度は高かったと思うが、その人間がこれだから多くのファンが驚きを以て今作を出迎えている事かと思う。

「交差点」のようなアルバムだ。あらゆる、本来は無関係かもしれないミュージシャンたちが宇多田ヒカルという"交差点"に集まったような。

例えば。天津甘栗の大きな看板の下、渋谷駅前交差点は連日沢山の人々が行き交っているが、その誰もがそれぞれの人生の歩みの果てにその同じ日同じ時間同じ場所に到達しているのだ。そして、誰ひとりとして同じ人生を歩んでいないし、来た方角も場所も全く異なる。そういった、本来交わる筈の無い人々が、奇しくも全く同じ時間同じ空間を共有する。

何だか、オムニバス短編映画のプロットのような話だが、例えば学校に通う為とか営業の外回りの途中とか選挙活動とか売り子とか友達との待ち合わせとかそもそも渋谷に住んでいるとか、そういった素性を辿った挙げ句に"今ココ"に辿り着いている不思議。

勿論現実は沖田ディレクターの号令のもとに集っている訳でオムニバス短編映画は作れそうにないけれど、しかし、それだけにこの13組の個性というものが贅沢に詰め込まれている感触は他ではちょっと得られない。


その贅沢さは、普段のHikaruの新作を聴く時には味わえない類のものである。ひとりひとりが持ち込んできた、背負ってきた物語が十三者十三様なのである。

例えば浜崎あゆみは、同じ年のデビュー組として一時代を築いてきた事を考えれば、アーティスト活動休止中に私は"Movin' on without you"、アナタが居なくても前に進んでいるよ、というメッセージともとれる。宇野さんは歌い出しの"Only you can stop me"に注目していたっけな。そういう、背景となる物語を知らなくても目の前にある音楽だけで十二分に楽しめるが、そういった"物語"を持ち込む事で楽曲がより立体的に、壮大な時空を伴って展開していく。

他にも、連日触れている同輩としての私信的な椎名林檎嬢のLettersや、ファン魂が炸裂しているAIや加藤ミリヤtofubeatsといった面々、先達としての風格をみせた井上陽水、等々…これから追々じっくり語る事になるだろうが、そういった個々人の「宇多田ヒカルに対する思い入れ」がこうやって集積する事によって、宇多田ヒカルの、特に同業者たちにとってのパブリック・イメージが浮き上がってくる。渋谷駅前交差点は、交差する人々の人生の集積あってこそ交差点になりえる、といった趣か。ここには、宇多田ヒカル不在を示す作品性がきちんとした佇まいで提示されている。沖田ディレクターの本来の狙いは、恐らく彼の当初の期待度すら超えて達成されているようだ。

しかしまぁ…いや、兎に角時間をかけてゆっくり1曲々々取り上げていこう。宇多田ヒカルの17年目はまだ始まったばかりなのだから。