無意識日記々

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「ザ・カバー」

岡村靖幸の"Automatic"は「ザ・カバー」である。まずはここから始めよう。

最初、宇多田ヒカルのソングカバーアルバムが制作されると発表された時に、個々人がそれぞれに何となく「こんな感じになるのではないか」という漠然なイメージを抱いた筈だ。それに基づいて期待出来ると期待出来ないとか事前の心情を吐露していたのだから。

私もそれに漏れず、ある程度こういう感じ、と思っていたのだが、このアルバムの3曲目、岡村靖幸の"Automatic"を聴いて、「そうそう、これなんだよなぁ、他のアーティストによるカバーって」と膝を打った。まさにイメージ通り、期待通り予想通りのテイクだ。

当初は岡村を引っ張り出してくるなんて全く予想していなかったが、彼の名前を見て「あぁ、彼が来るっていうんならこんな感じで唄うんだろうな」という予測はついた。まぁこの時点でもAutomaticかどうかはわかってはいなかったが、世代的に彼の濃い口の唱法には幼少の頃それなりに通過してきているので、その強すぎる個性とヒカルのメロディーのマッチングはシンプルに楽しみだった。

80年代当時は、彼の歌は濃い口に過ぎてなかなか一般には受け入れられなかった。久保田利伸平井堅も居ない頃に彼らよりもくどい歌い方をしていたんだから当然といえば当然だ。石井竜也みたいに世渡り上手(?)でもなかったから派手なヒット曲もなく。しかしながらその個性派ぶりは折り紙付きなので今でも現役のミュージシャンとして活躍出来ている訳だ。

彼の歌唱をじっくり聴くなんて二十年ぶりくらいだったから「おおう、やっぱり歌自体上手くなってんな〜」というのが第一印象であった。抑え気味のトーンと力を込めて唄う箇所のコントラスト。もしかしたら石橋を叩いているのかな?と思わせるくらいに順当な選択をしている。サウンド作りも、彼の個性に合わせながら16年前の曲をモダンに且つシックにまとめられている。

そう、ソングカバーアルバムに期待したのはそういう事だった。シンガーの個性に合わせたサウンドと歌唱法の選択と組み合わせ。それがこの岡村のAutomaticではドンピシャに嵌っている。

アルバム全体を振り返ってみると、しかし、彼ならもっとハメを外してもよかったかなとも思えるくらい皆大胆だったので、結果論かもしれないが、このトラックはまるで今作の"良心"のような機能を果たしている。その意味で3曲目という位置付けもまた絶妙だ。ここでまずは「ソングカバーアルバムとしてのスタンダードぶり」を定義づける事によって聴き手のモードが調整される。ここから一時間弱、ソングカバーアルバムを聴く準備を整えてくださいよ、まずはここが基準点ですから、と。だからこの岡村靖幸の"Automatic"はこれぞカバー、「ザ・カバー」なのだと。

その意味においては選曲がAutomaticなのもまた絶妙だ。皆の知る宇多田ヒカルのスタンダード。それを男性ボーカルでこんな風に料理する。ああなるほどねという納得感が聴き手に広がる。

意外だったのは、その役割を岡村が担った事だ。あのやんちゃな遊び人が…と思ったけど、よく考えたらキャリア的にも彼がこういう手堅いポジションを担ったとしても全く不思議はない。いつのまにやらベテランなのだった。市場的には重鎮としての認識はされていないが、こういう仕事が出来る事を示せたのはなかなかに意義深いのではないだろうか。

勿論、若い頃の彼のようにもっと羽目を外して欲しかった、という意見もあるだろうが、アルバム全体のバランスを考えた場合、これはまさにこれでよかったのだという感慨になる。つくづく、この作品は"一枚のアルバム"として聴くのがいちばんだなぁと痛感させられる、そんなスタンダードなカバートラックである。