無意識日記々

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Pride Of かあちゃんず

でまぁ昨夜昨朝の話の流れで言いたかったのは端的には「宇多田ヒカルにとってのプライドって何なのだろう?」という事。音楽活動を通じて誇りがどうのとか自尊心がどうこうとかって、あんまり前面に出てこなくない?

ヒカルがプライドを扱った歌といえばそのものズバリっぽい『Too Proud』がある。最終的にはサビでプライドプライド連呼してしまう位そのまんまのテーマの歌だ。

しかしこれ、セックスレスについて歌っているってのがね。祖国の誇りを掛けて異教徒を殲滅せねばならない、みたいなヤツではなく、どちらかというと「周りからみたらほんのちっぽけなことなんだけどプライドが邪魔をして素直に振る舞えない」みたいな、プライドが妨げになってますすいませんみたいな描き方だ。『触れられない案件』っていうダブル・ミーニングの一節がこの歌の「プライドとセックスレス」というテーマを見事に体現しているな。

つまり、ヒカルにとってプライドのイメージは大抵「邪魔」なんでないの?というのがまず最初に抱く印象で。誇りを胸に云々と宣って音楽活動にポジティブなフィードバックを与えるイメージが余り湧かない。

プライドは、しかし、人間を駆り立てる原動力のひとつである。私ゃ「ジョジョの奇妙な冒険第4部」で料理人トニオ・トラサルディが祖国イタリアの食文化を讃える際に「これは自慢ではありません。誇りなのです。」と語ったのが強く記憶に残っていてね。誇りを胸に抱くとそれを強めるよう努力する方向に行けるんだねぇ、と妙に感心した記憶がある。自尊のはずが自慢になってしまう、尊厳が慢心になってしまうおそれはきっと常にあるのだろうけれど。

ヒカルさんは結構謙虚な人間で、だからこそ別に誇りに駆り立てられなくても音楽を続けるモチベーションに変化はないという事なのだろうか。ヒカルにとってプライドとは常に邪魔っかしいものでしかないのだろうか。

今ヒカルが復帰してきてから5年余りが経過したが、その復帰の理由のひとつが「こどもができたから」なのをヒカルは隠さない。家庭を持つと家族との時間を大事にしたいと活動をセーブするセレブなミュージシャンたちは幾つも見てきた。「家族を養っていかなきゃいけないからますます働く」というのもあるが、これは3割くらいは真実だが7割くらいは嘘だろう。でも大体あんたらもう働かなくても勝手に印税入ってくるご身分じゃないですか。

ヒカルは『Laughter In The Dark Tour 2018』に息子を連れて来ている。本人が観に行きたいと言ったかは定かではないが、ヒカルからしたら「母ちゃんの勇姿を見せてやる」という気概で臨んでいただろう。ここには、母としての誇りと音楽家としての誇り、両方があるように思える。

「息子が誇れる母でありたい」と思って活動を継続してくれているとすればこんなに有難い事はない。彼の母である事実は未来永劫覆らないのだからね。産むって凄いな。