無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

向かい風が本当にチャンスだった話

1st vs 5thを煽っておいて梯子を外すような事を言うと、最も凄味を感じたのは3rd「DEEP RIVER」の頃ではなかったか。当時をリアルタイムで知る読者が今どれ位居るかわからないが…いや、逆かもしれんな。あの凄味を知ってるからこんな日記毎日読むようになってるかもしれない訳で…。

1999年初頭から社会現象となった「宇多田ヒカル騒動」がピークを迎えたのは2001年3月28日、浜崎あゆみと同日発売を迎えた日だ。2ndアルバム「Distance」の持つ初週300万枚は今でも世界記録の筈である。そして、それ以降宇多田ブームは収束していく…かにみえたのだ。

実際、同年7月に発売された「FINAL DISANCE」はオリコン初登場1位を逃す。テレビを使わないプロモーションと、アイドルへと軸足を移し始めたチャートアクションの組み合わせは、久々に宇多田を"脇役"の座に追いやった。

ここからだ。"traveling"のTVCMが流れ始める。あれのインパクトは凄かった。あの、「何かとんでもない事が起ころうとしてんじゃないの」感は流石にリアルタイムでないと感じとれなかっただろう。発売が11月末という事もあり、また、(あとづけではあるが)対累計比の初動枚数が極端に低い事もあって、即ち、じわりじわりとロングヒットになった事もあって、この曲は"2002年のヒット曲"という印象が強い。DVDシングルも驚異的な売上を記録した。

追い風が吹きまくった1999〜2001年前半とは違い、2001年後半以降はヒカルはOut Of Dateとみられても仕方なかった。筈だったのにこのトラベという特大爆弾でいきなり息を吹き返す。続いての光は3週連続1位、SAKURAドロップス/Lettersの両A面シングルは初動でtravelingを10万枚以上上回った。明らかに2002年の空気は「やっぱ宇多田凄いわ…。」という色に染まっていった。

この「呼び戻し感」である。確かに、余波はまだまだあっただろうが、ここでひとつボタンを掛け違えていれば、ヒカルには何の落ち度もないのに「時代遅れ」扱いされる危険があった。それもこれも「FINAL DISTANCE」EPの存在が大きかった。ある意味あれで吹っ切れたよね。その吹っ切れ感がtravelingに乗り移った。

確かに、「DEEP RIVER」アルバムのCD売上自体は「Distance」に遠く及ばないのだが、実際には、当時の急激なCD市場の縮小率を考慮すると寧ろ"支配率"は「Distance」より上であったのだ。まぁそんな小手先の計算はいい。宇多田ヒカルは、空気が落ち着いた後も音楽の力で大ヒット曲を連発した。その集積、その結晶が「DEEP RIVER」アルバムだったのだ。そりゃあ、それまでにない"凄味"が宿っていてもおかしくはない。…という作品を当時18〜19歳の小娘が作ったと思うと、今でも身震いするねぇ。


という訳で、1st vs 5thの勝負は3rdの勝ちという事で…ってそうは問屋が卸さないですわね。さて、続きはどう書こうかな…。