無意識日記々

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唱歌をどう昇華させるのでしょうか

人が日記を仕上げたタイミングで新しいニュースを上げてくるとは……昨夜の9時頃の話だが。寧ろ週末にフライング解禁されててよかったのかもしれんな。そんなに間抜けにもならなかったわ。

という訳で井上陽水トリビュートの選曲紐付けが発表された。ヒカルは「少年時代」を歌う。予想通りというか予定通りというか。国民的アーティストが国民的唱歌を歌うという超ド直球な選曲だ。といっても、16年前に歌ってなかったらこうはなってなかったかもしれないから実績って大事だねと。

ヒカルのコメントはこうだ。

『二十歳の誕生日イベントでカバーしたことがキッカケとなり、まさかの井上陽水さんのライブでご本人に見守られながら歌わせていただいたこともありました。「少年時代」は私にとって思い出の曲です。/やっと、正式な作品としてレコーディング、発表することができました。デビュー50周年、おめでとうございます。』

読点の多さに今のヒカルの落ち着いた口調が窺える……という本筋とは関係ない感想はさておき、私が引っ掛かったのはこれが初めての“正式な作品”扱いだということだ。ヒカルの中では『20代はイケイケ!』は正式な作品ではないらしい。ちゃんとDVDでリリースされているのにね─というか、そうだな、ライブ・ストリーミングの録音録画を“作品”と呼ぶのに抵抗がある、と言った方が適切か。

2019年の今でもジャズやクラシックの演奏家は「ライブ・レコーディング」が基本のようだ。勿論編成やタイミングによるのだが、ワンテイクかどうかは兎も角、せーのどんで録音する。それをそのまま作品としてリリースするのも珍しくない。いつの時代の話をしているんだと言われそうだが上手い人はそれが出来るのだ。

ヒカルにとって「作品」とはそういうものではない。何故ならヒカルはプロデューサーだからだ。演奏して録音した素材をどう料理するかが作品作りの本陣であって録音作業は素材集めでしかない。この認識の違いを前面に押し出したコメントとなっている。

カバーアルバムというとどうしてもオリジナルとの歌唱の違いがまずクロースアップされるが、ヒカルからすればサウンド全体のコンセント、サウンド全体のプロデュースの方向性にこそ注目して欲しいのかもしれない。国民的唱歌を国民的アーティストがどう歌ったかだけでなくどう料理したかまで堪能してうただけると幸いである。