無意識日記々

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私の大っ嫌いな言葉と最近の口癖

私の最近の口癖は「いい歌に会えればそれでいい。」だ。こう書くと前半の「いい歌に会えれば」に強勢が置かれている印象になるが、寧ろ「それでいい。」がメインだ。こう書き換えるとわかりやすい。「“いい”歌に会えればそれで“いい”。」。“いい”から“いい”んだ。もう殆どトートロジーである。そんな、ほぼ無意味な一言を自分に言い聞かせながら最近の私は日々を生きている。


さて。


私の大っ嫌いな言葉に「言う資格」というのがある。ついつい、「確かに、私の言葉はあなたにとって説得力のあるものではないかもしれない。でも、だからといって、私が自分の思った事について言葉にするのに、あなたや他の誰かの許しを得る必要が、乞う必要があるのか? 私が今、何を言おうと私の自由じゃないか。そして、それを聞いた人が「お前がそれを言っても仕方がない」と思うのも、言うのも自由だ。しかし、あなたに私に何らかの資格を与える権限か何かがある訳じゃないだろう。資格って何だ? 参画の次か? 試験がある訳じゃなかろう。ここは、自由のある国だ。それを謳歌できない、それを満喫できない瞬間なんてあっていい筈がない。あなたに資格云々言われるのはとても不快だ。不愉快だ。」と思ってしまうのだ。だから自分からは言わないし、言ったとしても冗談、或いはこの表現自体に対する揶揄だ。誰でも、何でも言っていい。それを誰が聞いてどう思うかは別の話だし、どう思うかを慮って発言を踏みとどまったり勇気を出して言ってみたりするのも自由
だ。あなたも、私も、誰もが発言の、表現の自由がある。少なくともそういう国に、住んでいる。そうじゃない国に住んでる読者の方がもしいらしたら、何も出来ないけれどエールだけを送りたい。どうか、生きて、頑張って。

そんな私が敢えて今。こう表現したくなっている。「私には次の台詞を言う資格があるだろう?」と。あー自分で言っていて既に嫌気が刺している。刺さっている。本当に、こういう事を言うヤツはイヤなヤツだな。それでも敢えて言う。私には次の(正確には次の次の)台詞を言う資格があるだろう。


…ヒカルがこの春、復帰してアーティスト活動を再開するんだってさ。





「待ってました。」




うん、ずっと待ってた。


何か、「待って、いました。」と「マッテマシタ!」の二つの響きが重なっている。長い時間を食べ尽くしてきた感慨と、いよいよかという高揚感。ごらく部ファンとしては「舞ってました」も付け加えたい。踊り出したい気分だよ全くもう、という感情と、生きてりゃいい事あるんだなぁとくまか何かに拝みたい気持ちと。何が何だかわかんないや。メルマガ送ってくれてる人ありがとう。掲示板に情報を書き込んでくれてる人ありがとう。お陰で知れました。感謝します。感謝します。どうもありがとう。ここ二年でいちばんいいニュースのうちのひとつなんじゃないか。A good news IS a good news. いいニュースはいいもんだ。嗚呼、いいったらいいんだ。

4月か。春だな。

私がずっと待ってた証拠はここから下に日記がずっとあるから読んでくれ。いや読まなくていいや。本当に待ってたヤツの言葉がここにある。待ってたんだよ、本当に。いやもう嘘でもいいや。待ってなかったかもしれない。それでもいいや。いいったらいいんだ。



そして、冒頭の話に戻ろう。「いい歌に会えればそれでいい。」。如何にヒカルが帰ってくると言ったって、それが「いいうたにあう」事にならなければどうにもならない。表現としては破綻しているが、「ヒカルが復帰して歌に会えない」より「ヒカルは復帰してないけど歌に会えた」の方が、私にはずっといい。私がどれだけ待っていたかとか待っていなかったとかは関係ない。いやもう待ってなかった事でいいよ。待ってましただなんて言う資格もないんだよ。なくていいよ。兎に角、次の歌に出会おう。話はそれからだ。

それまでは、延々とタイアップの話でもしときますかね。明日から話が諄くなるぞきっとこの日記は(笑)。