無意識日記々

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ウェブで声の大きい層は大抵が理屈っぽい。お前が言うなという話だが、いきおい評価が設定や物語の整合度に偏る。虚構に整合性を求め過ぎても仕方がないのだが、中途半端であるが故に弊害も大きい。

ONE PIECE」がその最たる例で(この作品はどの側面からみても最たる例にばかりなるけれども)、無闇にストーリーばかり追う層には殊更評判が宜しくない。実際には緻密さが上がるばかりで破綻らしい破綻は無いのだが、気ばかり焦って先を気にし始めるとじれったくって仕方がなくなる。その気持ちはわからなくはない。

しかし、先入観を捨ててみてみると今でもしっかり週刊連載なりの19ページの起伏というものがある。重厚長大な物語を知らなくても、いきいきと動くキャラクターたちをみているだけで楽しくなるし、細かい台詞のやりとり等も相変わらず気が利いている。衰えはみられないし、ノウハウも着実に蓄積運用されている。

つまり、今の「ONE PIECE」は、「ROMANCE DAWN」から読んでいる身としてはもうどんどんスケールを広げていって貰いたいし、たった今読み始めた人にしてもそれなりに楽しめる。今苦言を呈しているのはそのどちらにも属さない層、広がり過ぎてストーリーを把握し切れていないのになまじっか幾らか覚えている為に今現在の文脈の必然性を読み取れず、かつ目の前に繰り広げられている"楽しいやりとり"に気が回らない人たちだ。彼らを責めるのは酷だが、作品の正当な評価とは言い難い。普通に読んでて面白くないとだけ言ってる分には問題がないのだが、しかし、そこから何かを振りかざし始めると害しかない。


とと姉ちゃん」も、流石にそのスケールには遠く及ばないが、同じような分裂が見られる。なまじっか朝ドラを見慣れていて26週のストーリーのリズムを知っている身からすれば相変わらず週末に話を収拾しにかかるいきあたりばったりさは目につくだろうし、各個人の心理描写うんたらかんたらは物足りないだろう。

一方で、役者同士の軽妙なやりとりや表情の作り方、アドリブの数々や芝居の間合いといった細部、というか直接観て楽しめる部分を楽しんでいる人には評判がよさそうだ。すぐ下がると思っていた視聴率が持ちこたえているのも、そういった面が評価されているのかもしれない。

ストーリーの整合度については文章で評価し易い。一方、役者の芝居やコンビネーションといったものは文章に書き表し難い。映像を見てくれとしか言えない。その為、ウェブで評価なり感想を検索してもストーリーの話の方が分量が多い為どうしてもそれが多数派の意見かと思われがちだが、実際はそんな事もなく。要は、魅力が書きやすいヤツか書きにくいヤツなのかの違いしかないのに、それを言語化した時点で人数あたりの体積が増える。先述の「ONE PIECE」に対する近年の酷評の増加傾向もそれが原因である可能性が高い。

ストーリーを楽しむだけなら小説を読めばよい。漫画やドラマという媒体を通している以上、それらに合った表現方法があるのだから、それも含めての作品である。ウェブで喋る人は喋れる事だけ喋っている。それより、自分で見聞きして、今日も何となく楽しかったな、と思えたのなら、その"何となく"を大切にするべきだ。言葉にはならない所にも大切なものは転がっている。その大切さは文章にしなくていい。拾い上げて心の中でパチリと写真を撮ってあげればいいのである。しまった引き出しの場所は、忘れないようにしましょうね。