無意識日記々

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道化と同系統とかありえないし

R&Rという音楽は1955年あたりに米国を中心として流行した音楽ジャンルだが、特段その音楽性が当時目新しかった訳では無い。1940年代のリズム・アンド・ブルースの中でアップテンポなものを聴いてみるとそれはほぼほぼロックンロールと大差無いのだ。

そういう、特に目新しくもなかった音楽が、何故世界中の、とりわけ英国の若者(それがザ・ビートルズザ・ローリング・ストーンズだった)を熱狂させたかといえば、勿論タイミングもあるが、早い話がそれまで若者に向けて作られていなかった音楽を若者に向けて作ったからだ。その最たる例がこの前触れた『Animato』に出てきたエルヴィス・プレスリーで、彼はPTAの皆さんから罵倒されつつ反抗的な若者たちを男女問わず魅了した。その彼が主に歌っていたのがロックンロールだったのだ。バラードの代表曲も多いけどね。

つまり、音楽は、その音楽性に見合ったターゲット層に的を絞らないとウケない。裏を返せば、やってる音楽をひとつも変える事無くプロモーション体制次第でガラリとファン層を変えることが出来るかもしれないのだ。

ヒカルさんは老若男女問わずファンがついていて、今更新しいレイヤーを開拓することなんて出来ないように思われている。せいぜい、新しく生まれ育ってきた若い、いや幼い世代に刺さったら嬉しいなぁ、程度の話だろう。でも果たしてそうなのかね?

宇多田ヒカルの顔と名前と『Automatic』と『First Love』位は知っている人達が、果たしてヒカルが『海路』や『Kremlin Dusk』も作って歌っていると知っているだろうか? 甚だ疑問だ。自分も昔、余りにも有名過ぎるミュージシャンは改めて聴かれない、という現象に何度も出会った。というか自分がそうだもんね。メタリカのアルバムを全部聴くのに何年掛かった事やら……有名過ぎると、知っている気になってくるのだ。宇多田ヒカルはその最たる例の一人であろうよ。

ただ、だからといって「覆面歌手として、或いは名を伏せてタイアップを受けてみたら?」みたいな提案にヒカルがノってくるとは、どうしても思えないのである。あれだけ毎回オリジナル・アルバムのジャケットに自分のドアップを使い続ける人だ。ジャケットに書かれる「宇多田ヒカル」の文字のバランスにも気を遣う人だ。自分の書いた曲は自分が書いたのだと必ず示していたい筈なんだわ。どうにも、そういう局面でヒカルがふざけてみたりお茶目になったりはしそうにない。とことんシリアスなのだ。歌と名前に関しては。

ロックンロールの世界なんて顔を隠してばっかりだというのに。KISSは歌舞伎のクマドリに触発されて顔を白塗りにして何十年もスタジアムツアーに繰り出したし、スリップノットは九人全員が仮面と覆面をつけて自らの名を冠するメタル・フェスで全世界を熱狂させ続けた。人前に出て人々を楽しませる以上、ピエロになるのもひとつ必要だったりするのだ。そういう、ターゲットのニーズに応える為に何かを偽ったりまでするのがショウビジネスだったりもする。

そういうのが苦手な人こそ、宇多田ヒカルにピッタリなんだが、人によっては宇多田ヒカルこそショウビジネスの頂点のひとつだと思ってたりして、なかなかそこらへんの(恐らく最後に残された)ミスマッチは解消されない。文芸誌で随筆でも連載したら少しは変わるかもしれないけどねぇ。梶さんそんな仕事とってこれないかな??