無意識日記々

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黒い渦から離れて昼寝をしようよ

私の考える「テロリズムに屈しない」精神とは、憎悪と報復の連鎖に絡め取られない事だ。彼らに煽られて、彼らと同じように暴力による報復を選ぶのは、まさに彼らと同じ思考になる事そのものだろう。実際に近しい人たちが"闇堕ち"してしまうのはある意味当然で、誰もそれには抗い切れない。人が人を殺めた時、周りで生き残った人間も同じ修羅の世界に落ち込んでいく。だから悲しい事なのだ、避けるべき事なのだ、人が人を殺める事は。昨日まで素直に世界平和を祈っていた人たちが、生きる誰かの命を殺す事をだけ願って生きる人生を歩み始める。これが悲しくなくて何が悲しいか。そしてこれこそが、真のテロリズムの効果なのだ。悪循環の連鎖の中、皆がテロリズムの思想に染まっていく。

踏みとどまろう。せめて、近しい人を喪っていない貴方だけでも、正気を保とう。遺族の皆さんが抱く無念と憎悪に同情する事はあっても、共感が過ぎてどこかの誰かを憎悪しその死を願う自分にならないで欲しい。人間の共感力や想像力が道を踏み外させる大きな一例である。想像力を制御して、憎悪から身を守らねばならない。

テロリズムは絶対に許せない」と言えば確かに受けた心理的衝撃の受け皿にはなる。裏を返せば、青天の霹靂過ぎて心の準備が出来ていなかったのかもしれない。この意味では、日々テロリズムのニュースを目に耳にする事で慣れるのもまた重要である。常に世界中のテロリズムの話題に触れ続けていると「またか」という具合に感覚が麻痺してくる。「いやいや、それではいけない。」とかぶりをふる人も多いだろうが、それでいいのである。麻痺しないとやっていられない程世にはテロリズムが溢れている。そうなっていれば、心構えが出来ているともいえるのだ。これもまた、世界観に絡め取られているうちのひとつに数えられるのかもしれないが、自覚がある分、退ける。何もしない、何も変えない事もまた大きな抵抗、強い意思表示なのだ。報復を賞賛する悲劇に陥るくらいなら、麻痺してそっぽを向いて昼寝している方が、世界平和に貢献できるかもしれない。

お前はそんな事を遺族の前で言えるのかと質されるのだろうか。言えない。だからこそ悲しいのだ。誰かを喪えば世を恨むのも道理。だから喪う事は悲しいのだ。何度でも言おう。憎しみに基づいて動く位なら後ろを向いて昼寝しておこう。大きなマイナスよりゼロの方がまだプラスなのだから。