無意識日記々

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また"知らない私"にセイグッバイ

『大空で抱きしめて』は60秒のバージョンを何度も聴いている。『Forevermore』の方はソニーストアで聴いた90秒を何度も反芻している。…なんだろう、すっかり「聴き馴染みのある曲」になってしまった。

これって配信を買ってもすげー「今更感」が出てきやしないか?という危惧が拭えないぜ。

4年前の「進撃の巨人」の主題歌に抜擢され紅白歌合戦でも鳴り響いたLinked Horizonの「自由への進撃」EP。発売日を迎えCD等を買いフルコーラスを堪能した人々の多くが「TVサイズバージョンのでよかった」と思ったようだ。シンフォニック・メタルのもってまわった展開(様式美ってヤツだぁね)がお気に召さなかったらしい。お陰で、この曲(組曲)が話題性としてピークだったのはテレビバージョン90秒(あれ100秒だっけ?)を配信開始した当日だった。またたクマにチャートを駆け上がったのである。

ま。ヒカルが齎す結果は真逆だろう。前作が『Fantome』の人なのだ。『俺の彼女』『真夏の通り雨』『荒野の狼』『桜流し』いずれも「楽曲全編を通して初めて全貌が明らかになる」曲だ。新曲が発表になるならば、フルコーラスの配信された瞬間がピークになる筈である。

いや、『Forevermore』はきっとそうなのだ。あの90秒で既にピークが来ている、とは思わない。しかし『大空で抱きしめて』の方はどうだろう。あんまり印象が変わらない気がしてるんだな今の私。過剰な期待をかけないようにという自衛措置、ともとれるが、あの軽やかなリズムにこれ以上捻りを加えたらそれこそLinked Horizonのように「短い方がよかった」と言われかねない気がしてな。

危惧というのはそれである。曲調によっては、短縮バージョンの印象通りに無難に纏まっている方がウケがいいのではないか、という。リスナーで私のように「フ、フルコーラス聴いたらまだ何か出てくるかもしんないんだからっ!」と恐怖におののいている人はそう多くはないだろう。天然水のCMで聴いて「お、いいな」と思って配信を買った人が、「お。やっぱりいいな」と思って貰うには意外性のある捻った展開なんぞマイナスかもしれない。そういう話である。

その意味で『大空で抱きしめて』には少しばかり不安な感情を持っているのである。

一方『Forevermore』の方にはもう何も不安はない。「大ヒットするラヴバラード」の路線でないとわかった以上、肩の荷が下りた。他人の評価を気にする必要が無くなったのだ。有り難い。実に有り難い。J-popのアーティストとしては「如何なものか」と言われるかもしれないが、ただただこういう曲が聴きたかった私としてはいやもうなんというか。今頭をzabadakの「砂煙のまち」がよぎったが何だったのだろう。まぁいいか。たぶん、私の中で似たような分類の曲なのだろう。音楽性は似ても似つかないと思うが。

まぁそんなところか。週明けの私はもう「『大空で抱きしめて』の全貌を耳にした男」だ。"知らない私"とはあと2日余りでサヨナラである。兎に角それまで、生きていたいと思う。人生はその繰り返しだな。ヒカルが新曲を出し続けてくれる以上、私の生命は繋がっていってくれる気がしてます。