無意識日記々

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日曜日浮き立ち過ぎて雲の中

先週述べた通り(嗚呼、この書き出し月曜日に使うつもりだったのに何やってんだかもー)、『大空で抱きしめて』において特異な点は、感情の強弱が直接「歌詞の構造」として埋め込まれている点にある。言い回しや歌い回しのバリエーションで「ああここはよりエモーショナルなんだな」と感じさせる方法はよくあるし、実際ヒカルもある程度この楽曲で実践しているのだが、そういった血肉や服飾の部分だけでなく骨格そのものから感情表現を演出にかかっているのは、作詞作曲編曲歌唱を総て独力で行う利点を最大限活かしているといえる。

何が恐ろしいって、骨格が既に示唆だから、楽曲のアレンジも構成自体が表現になっている点だ。一見(一聴して)アドリブ紛いのフランクなフレーズが散りばめられているように見せかけておきながら、まさに"いつのまにか"最後の『消えないで』にまで導けるのは、作詞と編曲が共通して構造を持っているからである。

逆からいえば、構造上不可避的に結論に至らざるを得ないので、自由度の高いアレンジを実践したとしても楽曲が破綻しないのだ。何をしていても最終的に構造に絡め取られるのである。


抽象的な表現だけでは腑に落ちない。具体的にみていこう。

…と思ったが、いざ書き下そうとしたらその余りの複雑さに断念してしまった。仕方がない、もっと基本的な所から。


『大空で抱きしめて』に"騙されてしまう"のは、ひとえにポップなイントロによるところが大きい。VOGUEの動画で聴く事が出来る通り、あのフレーズが繰り返されると基本的には「うきうきした気分」になれる。心と身体が軽くなったような気分である。

このフレーズはAメロの間中流れた挙げ句、Bメロに突入するや否や音が高くなる。まさに浮き立った心が雲の中に吸い込まれていくような感じで。当然ここはそれを狙って構成してある。日曜日浮き立ち過ぎて雲の中、である。

で、そこまではいくのだが、サビに至る場面でこの印象的なフレーズは消える。だが、ここで「あ、消えた」と思わせない工夫が細かく施されていて、リスナーはいつのまにか歌に引き込まれていて気がつかない。思い出せるのは二番になって月曜日を迎えてからだ。

つまりここは、現実から地続きで夢の中に入り込んでいく(ベタに言えば村上春樹的な展開だわな)プロセスを丁寧に描いて、1番のサビから2番のAメロに至る部分で一旦『(涙で)目が覚めた』過程を描いている訳だ。歌詞の構成とフレーズの構成が見事に対応しているのだ。流石である。


…まぁこんなのはヒカルにとっては基本的な事でしかなく、今回のアレンジの凄みはそんな所に留まってはいないのだが、果たしてそんな"高み"を私が語れるのだろうか。不安しかないのだけれど取り敢えずは来週の更新をお楽しみに。