無意識日記々

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メタ・メタモルフォーゼ

ヒカルの歌詞は、Aメロからの歌い出しはまず視覚情報から入る事が多い。

例えば『In My Room』では『火曜日の朝は廊下で』、『Automatic』では『七回目のベルで受話器を取った君』、『For You』では『ヘッドフォンをしてひとごみの中に隠れると』、『Forevermore』では『確かな足取りで家路につく人が』、『大空で抱きしめて』では『晴れた日曜日の改札口は』という風に、まず出だしで情景や風景から切り込んでいく。

そういった楽曲たちもサビに至る頃には『戦うのもいいけど疲れちゃったよ』『ドキドキ止まらない』『君にも同じ孤独をあげたい』『愛してる 愛してる それ以外は余談の域よ』『天翔る星よ 消えないで』という風に心境の吐露に変化しているのだ。まずは見た目という誰もが理解出来るところから話を始めて内に秘める思いや願いを届けていくという構造をもった曲が幾つもヒカルにはある。

これが「歌詞」なのだ。前回述べたように、音楽というのは心が共振共鳴するかどうかが肝要である。しかし、いきなりメロディーに載せて秘めた思いを告げてしまえるかというとなかなかそうはいかない(そういう歌もあるんだけどね)。そこで、まず視覚的で、言うなれば当たり障りなく理解出来る所から話を始めるのだ。これによって間口を広くとって人々をその歌の世界に引き込んでいく。

これは、ただ歌を聞かせるというより、リスナーの皆さんを、視覚情報に重きを置いて人と優劣を競ったり見栄を張ったりといった普段の日常モードから、自らの心の声に耳を傾けるモードへとメタモルフォーゼを起こさせる作用がある。『In My Room』ではそこのところを直接『フェイクネイル カラーコンタクト エクステンション 髪にかざって フェイクファー身にまとって どうして本当の愛捜してるの?』という風に歌っている。虚飾に、見た目に気を取られるより自分の心に聞いてみなよという風に。これは、人々を「歌を聴くモード」へと導く方法論になっているのだ。ちょいメタい。

これが「歌詞」なのだ、と言ったのは、世界の他の部分と音楽を一旦相対的に目で眺めた後にしっかりと音楽の在り処を示しているからだ。音楽とともにある人々への言葉。それが歌詞でなくて何であるのかと。

この構造によってヒカルはリスナーに非常にプライベートな共感と心酔を生じさせている。その親和性とは……って、なんだか話がややこしくなってきたので今夜はここらへんで打ち切るかな(笑)。Aメロが見た目でサビが心の声だってわかってくれればそれでいい話だしなこれな。