無意識日記々

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自浄作用と自壊作用

凄いなぁ、ミサイルの話でグアムへの修学旅行取り止めるとか。飛行機事故のリスクとどっちを重要視すべきか誰も計算してないんじゃないかという危惧が浮かぶのであった。

でも話はきっとそういう事ではなく。保護者から「ミサイル怖い」という声が一定数上がった為と推測される。教師の中にも「そんな怖いとこ行けない」と言う人が出たかな。福島の原発事故から6年半。相変わらず実際のリスク計算よりメディアのイメージ戦略の方が影響力が大きい。煽れば動く。現実より責任が重視される。いつも通りだな。これが"平常運転"なのだから。

2010年代になってスマートフォンが普及し"無自覚なメディア"が台頭してきた。うちら庶民だ。旧世代のマスメディア(ラジオテレビ新聞雑誌書籍)は実態はどうであれ公共の利益に資するという"建て前"を持っていた。これがどれだけ大きなブレーキになっていたか。今更ながら痛感する。庶民に建て前は無い。旧世代マスメディアを糾弾し正義を標榜して…結果全体を悪化させる。自浄作用より自壊作用の方が遥かにスピードが速い。無自覚な為そのスピードは加速する一方だ。自分達が原因だと一向に気がつかないのだから。

これは相対的な話である。誰しも自らの専門分野には見識がある。寧ろ、普段見出しだけを一瞥して終わるような「さして興味も知識もない話題」に対して我々庶民はどうしようもなく振る舞う。勿論「黙る」が最適解なのだがそこは人生ゲーム、誰かが堰を切ればそこからは雪崩れ込むしかない。雪崩れ込む方に一定度の見識があれば自浄作用に、なければ自壊作用になる。少なくとも暫くは自壊ばかりで自浄は数えるほどだろう。そしてその先に自浄が優る展望がある保証は無い。

憂鬱な絶望論に聞こえるかもしれないが、それでいい。必然的な悪化であって、全体からみれば必ず自浄作用だ。しかし、その"全体"とやらがどの単位なのかはわからない。国なのか星なのか人なのか。潜り抜けた暁には更に豊かな人生が待っているだろうが、それまでに死んでしまっては何もない。結局必要なのは、今書いてきたような遠くをみる事ではなく、転けないように足元をみて段差を避けて、辺りを見回して交通事故を避けて、たまに空を見上げてカラスの右往左往を避ける、そんな普段の生活である。非日常的な高揚感に気取られずに穏やかな日常を過ごすのに、こんな勇気と覚悟が要る時代が来るとは思わなかった。ちょっとめんどくさい。美味しいもの食べて水を飲み、いい歌を耳にして心を落ち着ける。まずはその程度からだ。