無意識日記々

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なかった事にしたい話

流石にこの歳になるとアーティストやミュージシャンといった人たちに夢や憧れを抱くような事はなくなる。年下の割合が増えてきたというのもあるが、普段何をしてようがいい仕事をしてくれればそれで他は不問だよねという一種諦めの?境地みたいなもんが出てくる。こどもたちのお手本に、とか言ってはみたいものの、生業として音楽家やスターを選んでる時点で人生ギャンブラーであり、その生き方は大抵誉められたものではない。まぁそう言われるのはイヤだろうけど、だからってじゃあ「もっと品行方正に生きてこどもたちの規範となるように」って言われるのはもっとイヤじゃない?

アーティストやミュージシャンに対してもそうなのだから、ましてやそれを支えるスタッフのパーソナリティなんぞ微塵も気にしない。裏で何をしていようがちゃんと仕事をしてくれていればよい。たとえ趣味が蝉の抜け殻集めだろうがプジョーのホイール収集家だろうが、表にみえる分だけちゃんとしていてくれれば十分だ。

全く余談になるが、私がよく「表の顔と裏の顔が全く違う」という時にたとえに出すのが「裏で猫を殺すような」である。人を殺してしまっては論外だが、飢えて死にそうだから食べる為に、でもないのに猫を殺せる人間は私の中で異常認定される。まぁ誰にとってもそうだろうが、私の年齢より上の世代には現行の「動物愛護法」なんてなかったので犬猫の殺生に対して感覚の違う人間も居るのよ。まぁそんな余談はさておき。


なので宇多田ヒカルのスタッフが普段どんな行動をとっているかとかどんな思想でいるかとかそういう話に関しては寧ろ積極的に無視してきた。従ってA&Rトップの梶さんが個人アカウントで何を呟こうがここでは殆ど取り上げた事がなかった。んだが昨日立て続けに気になるツイートを投稿していたので今回は例外的に取り上げる。


曰く、「世の中まさに戦争が起きそうな緊張が走っているのに「う●こ」ネタで記事スペースを割く報道メディアの感覚がさっぱりわからない」と。これは難しい問題である。「う●こ」ネタとはまさにヒカルのツイートの事が当てはまってしまうのだが、それが注目されて記事にされる事が一概に悪い事と言えるのか。寧ろそういった話題を馬鹿げていると切り捨てるような社会こそがまさに"音楽の敵"とは言えまいか。そのうち軍歌と国歌しか歌えない世の中が来るかもしれない。ミュージシャンのA&Rがそちら側の思想に加担してよいのか。もっと情勢が緊迫してきた時にヒカルの作詞に対して「このご時世に不謹慎だ」と言うつもりなのか。私の考え過ぎかもしれないし、「世情から目を逸らして何になる」という憤りの気持ちもわからなくはない。しかし、どちらが本当の表現の自由なの? そこはもっと深く考えて貰いたい。


もう一つ。曰く、「クラウドファンディングは弱者の為に設計されたシステムであり、強者は絶対に使ってはならない」と。真木ようこや山田孝之への非難からそう結論付けるのは無理もない。実際大体その通りだと思うけれども、宇多田ヒカルが何かエキセントリックなアイデアを出してきた時にクラウドファンディングという手段を最初から放棄するのは良策とは言えないのではないだろうか。クラウドファンドも十人十色であって、アマもプロも世界中で使っている。年間1位がどうのこうのというアーティストには確かに無縁なのだが、ヒカルの可能性を摘み取るような方向にはいかないで欲しい。もっとも、梶さんの解釈であれば「宇多田ヒカルが弱者と認定されるようなフィールドでならいいんじゃないの」ともなりえるので、こちらはやや私の気にし過ぎかもしれないな。


いずれにせよ、個人のツイッターフェイスブックでの発言に関しては今後も極力無視する事にする。今回はいわば特例みたいなものなので、ほぼなかった事として華麗にスルーしといてうただけると有り難い。