無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

鼓膜から先を細かく考察してみる

人間の耳、聴覚というのは環境とそれに伴う学習で大きく左右される。習得する言語によって全く様子の違う事になる。翻訳すると同じ文章な筈なのに、それぞれ脳の異なる部位で解釈したりしているほどに。

そんなだから、「ありのまま」に音を聴くなんて無理だし、同じ音を聴いても一人一人違うように解釈している。感情のレベル以前の問題として、有り体に言ってしまえば皆違う音楽を聴いているに等しい。

例えば私の耳はデスメタルを聴き慣れているから「トマス・リンドベルクはいい声してるな」とか「アレックス・ウェブスターのプレイは切れ味抜群だ」とか聴き分けが出来るが、殆どの人にとってデスメタルはただの騒音・雑音でしかない。そんな人からみれば私の聴き分けは工事現場の音だけを聴いて職人の巧拙を論じているようなものだろう。

何度も同じ事を言うようだが、私は耳がよくない。すぐに聞き取れなくて「今なんつった?」と聴き返すなんてしょっちゅうだ。英語のヒアリングなんてさっぱりわからないし、日本語で歌われていても歌詞がまともに聞き出せない。ヒカルの新曲なんて毎回必ず「お前は何を言っているんだ」と思う歌詞パートがある。全くいい耳をもっていない。

ただ、たくさん聴いているから分類して語る事が出来る、というだけ。場合によっては、まともに聞き取れていないのに断片的な情報から頭の中で再構築したりもする。そこまでいくと不気味というか、「果たして俺の記憶は正しいんだろうか?」という疑問まで頭をもたげてくる。自分で捏造したのではないか、と。

そこまでいくと音楽って一体「何処」にあるの?となっていく。ならば、とそもそも正しいか否かの判断基準から検討し直されていかなくてはならないんだが、何だか話がややこしくなってきたので続きは又次回。