『誓い』での『肩』はこうだ。
『日の昇る音を肩並べて聞こうよ
共に生きることを誓おうよ』
肩を並べる=対等な位置に立つ、だから、これは二人の間のバランスがとれている様を示している…と言いたいところだが、歌詞の解釈によってはこれはこの歌の主人公の願望や希望ともとれる。「肩を並べている」と「肩を並べたい」では随分違う。ただひとまずは、「肩」という言葉がそれぞれの立ち位置を現す比喩として用いられていることを踏まえておけばいいだろう。
『残り香』での『肩』はこう。
『残り香と私の部屋で
温かいあなたの
肩を探す
肩を探す』
これまでの『肩を打つ』や『肩を並べる』は程度の差こそあれ慣用表現として耳馴染みのある使い方だったが、「肩を探す」という日本語とはこれが初対面という人も多いのではないか。自分もそうだ。が、この言い方がそのままの意味ではなく、つまり別に本気で上腕上部を捜索している訳ではなく、何らかの比喩として用いられているというのはすぐにわかるだろう。自分の部屋で上腕上部を捜索していたら警察案件である。
では「肩を探す」という表現の含意は何か。『残り香』は破局後の歌だからもう相手は部屋に来ない。つまり、居ない相手の肩を探している。歌のタイトルから解るとおり破局後の余韻を綴る歌詞なのだから、その寂しさとの対比で描かれているとみるべきだろう。となると、二人で居たときの幸福感や満足感の象徴が肩だとみるのが自然だ。
そして、その肩を今になって探しているのは、恐らく、二人で居たときに肩に寄り掛かっていた事が想像される。『誓い』でみたように「肩を並べる」とは対等な立場に立つ事なのだから、どちらかの肩に寄り掛かったままになった時点でその関係は対等ではなくなる。つまり、今歌の主人公が『肩を探』しているのは、対等でいられなくなった為に終局を迎えた関係への未練が残っている上に、未だにその依存の感覚が抜けきれない事をも指し示している。更に付け加えれば、恐らくこの人は次の恋愛でもまた同じ事を繰り返すのだろう…
…という解釈(妄想)が、『肩を探す』という非常に短い一節で導き出される。歌詞として、少ない言葉で多くを語れるのは秀逸だ。相変わらずヒカルの作詞術は卓抜しているのだった。