さて残り香の方から歌詞を見直すとなればそれは元に戻るという事だ。ほぼおさらいだね。
残り香の漂う部屋で肩を探すのかそもそも残り香自体も探すのか。その差を生むのは1番の歌詞の解釈即ち「破局のタイミングと場所」を聴き手がどう捉えるかにかかっている、というのを過去3回で見てきた訳だ。ではどれが正解なのだろう?
勿論全部正解である。
ここで紋切り型に「歌詞は作品。であるなら解釈は受け手に委ねるべきだ」と言い切ってしまっても問題ない。しかしそこは宇多田ヒカルですよ? それを敢えてわざとやってんだよね。
つまりヒカルは『残り香』においても、『Goodbye Happiness』や『Can't Wait 'Til Christmas』、そして『真夏の通り雨』や『荒野の狼』のように“多義的な解釈が可能な歌詞"を書いているのだ。
多義的というのは描写が曖昧なのではない。解釈の着地点自体を複数用意しているのだ。だから最初にリスナーが歌詞を感じるままに受け取って想像した風景に破綻は生じない。が、いざ冷静に分析的に歌詞を繙いていってみるとよくわからなくなっていく。ここらへん何か魔力めいたものすら感じさせるさせる技術があるわ。
先程挙げた多義的な歌詞を持つ曲たちも、内容が異なるどころではない、多義性の持たせ方の方法論自体からして互いに相異なるという離れ業ぶりなのよ。
郷愁に浸る人も圧倒的現状肯定派も肯く歌詞。クリスマスが好きな人も嫌いな人も同感する歌詞。亡き母を想う歌と若い頃の恋を思い出す歌。いずれにせよ関係ない歌…また細かく講釈を述べたくなるが、目も眩むような発想と実現技術が目の前にあるのだ、という点だけは再度わかってうただきたい。
その“多義的な歌詞"がこのアルバム『初恋』に到って更に進化している。究極は『嫉妬されるべき人生』だろうがこの『残り香』もまた強烈だ。このアルバムに於いての歌詞の独特の特徴は、謂わば歌詞が「鏡」の機能を強く持つことだろう。
結論だけ書くと、貴方が歌詞をどう解釈したかによって貴方の物事の感じ方や考え方が顕わになる機能が強いのだこのアルバムの歌詞は。鏡のように貴方の心を写し出す。故に、相互いに全く異なる解釈をしたリスナーたちがひとつの歌を聴いていずれも「この歌詞はどうして私の今の心境を歌っているのか」と驚く羽目になる。驚異的だな。
この『残り香』では、貴方の恋愛観のようなものが浮き彫りになる訳だ。それぞれがこういった、手が出せそうで出せないアバンチュールを提示された時どう感じるか。『二時間だけのバカンス』でも同じように歌詞の解釈が多岐に渡ったが、『残り香』においてはヒカルがそれをかなり意図的に仕掛けてきているようにみえる。でなくば『小さな夜』といった表現は採用されまい。
ちょっとこういう技術的な「舞台裏の話」はウケがよくないかもしれない。優雅に見える水鳥も水面下では必死に水を搔いている的なな。せやけどそれを自覚した上で聴いてもヒカルの魔法は解けない─私にはそう思えるのですよ。なので、こういう話も遠慮無く書くです。