無意識日記々

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From Your Passive to Your Passion

特に社会人になると「何が出来るか」「何をしてきたか」という能動的な出力の結果(Results from Active Outputs)で他人から評価されるようになる(というかそれが総てだと思うようになる)ので、前回触れたようにもっと自分の受動的な性質に基づいた人間関係って築きにくくなっていくのよね。だからこそ、プライベートや趣味の領域では「その人が自分に何をしてくれるか」とかそういう観点よりも「自分と同じように感じて暮らしている人」との交流を大事にしていきたい。そして、死ぬまで大切にするのはそういう関係なのだと強く思うのです。

そりゃあね、何かしてくれる人っなとっても嬉しい存在ですよ。上手に料理を振る舞ってくれる人、会食すると楽しい話をしてくれる人、あと各種運転免許持ってる人とかも有難いねぇ。介護等してる人は移動手段運搬手段の重要さ痛感するだろうし。優秀なお医者さんを紹介してくれるとか、安くて美味しいお惣菜を売ってるスーパーはどこなのか知ってたりさ。いろんな助けが有難いよねぇ。

なので、そういった能動的な出力、つまり能力だね、それを基準に人付き合いの相手を決めるのは全く悪いことじゃない。けど、それしかない、そればっかりとなると、金の切れ目は縁の切れ目じゃないけれど、その能力が相手から失われたり、或いはこちらがその能力を不要になったりすると縁が切れちゃったりすんのよね。そういう関係も気楽でいいけど、でもそれで全部じゃ人生考えちゃうよね…というのが前回の日記の話の続き。

この、能動と受動、activeとpassiveってのはどちらも片方だけでは成り立たない、世界の半分と半分なんだけど、上記の通り大人はついついactiveにばかり目を取られる。だけどpassive、受動性は、その人が何に熱心なのか、何に情熱を感じるかを決める極めて重要な性質だ。passiveからpassionが生まれるのよ。正に文字通りに。

なので、わたしたちはactiveとpassiveのそれぞれの性質について知った方がいいと思うのです。

人は、出力方法によってその都度性格が若干変化する。例えば私は書き言葉と喋り言葉で少し性格が変わる。これは皆さんもそうよね。昔は文語と口語は別物だったようだから、まるで異なる人格を演じるくらい違ったはずだ。書くというアウトプットと、喋るというアウトプットで。

他にも、例えばよく言うのが「ハンドルを握ると性格が変わる人」ね。あれ本当に普段しない言葉遣いをいきなりしてきたりするもんねぇ。勿論同一人物は同一人物なんだけど、吃驚させられることも多々ある。

ヒカルさんでそういうことが起こるのは…そう、日本語で喋る時と英語で喋る時! 英語がわかる人はかなり強く、わからない人も何となぁく感じてきてるかとは思うんだけど、ヒカルパイセンは英語で話すのと日本語で話すので少し性格が変わるんだ。英語を書くときと日本語で書くときも合わせると、四者四様の性格をしてるのよさ。だから、それぞれの翻訳と文字起こしの中で、一体どこまでその「性格の変貌」を残したり継承したり、或いは切り捨てたりって取捨選択が本当に難しくてねぇ…まぁそれはさて置いて。

でも英語のことはわからないから…という人も、あれはわかるでしょう、「MCする時と歌ってる時の違い」! ほんの数秒前まであんだけ挙動不審だった人が一瞬にして途轍もなく格好よく艶っぽくパフォーマンスを始めるんだから! あれは「まるで別の人になったみたい」と形容しても不自然ではないだろう。本人も昔そんな風に言ってた気がするな。

斯様に、人はその能力を発揮する出力方法、能力の種類によって少しずつ性格が、人格が変化するものなのです。が、しかし、では受動的な性質についてはどうなんでしょうねという話からまた次回ですのよさ。