無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

令和になったからと言えるかはわからないけど

例えば今日の【今日は何の日宇多田ヒカル】なんかは11年前、ヒカルが鰻重を食べたらぽんぽん痛い痛いになったエピソードだが、今これを呟いたら叩く人が出て来る、かもしれない。11年前はウナギが絶滅危惧種云々はまだ余り話題に上ってなかったし従ってそんな意識も機運もなかった。今現在はどうやら過渡期で、美味しくウナギをうただく人も居ればもう絶滅危惧種に指定されたのだから消費は控えようという声も大きくなってきている。ウナギを食べたいと思うのも種の保存を願うのもヒトの都合なので好きに議論すればいいと思うがそれに勝手に巻き込まれるのは煩わしい。人付き合いなんて煩わしくてなんぼだけども。

斯様に時代はかなりドラスティックに移り変わっている。ヒカルが注意深く歌詞に暖かいコンピュータスクリーンやPHSBlackberryやMP3なんかを盛り込んで時代性を反映させているのも今からして思えば大衆音楽の時代依存性を先回りして担保していたようにすら感じる。自覚の有無ははさておいてだが。

昔の言葉を今の文脈に持ってくるのはコラージュだ。画像の加工と同じであって虚偽生成真実改竄である。しかしその意識や意図が浸透しているとは言い難い。昔の歌詞やメッセージを悪意をもって掘り返してくる機会に遭遇する確率はかなり低いけれども頭の片隅には置いておいてもいいかもしれない。時代の流れを換算すれば、ヒカルの鰻重メッセを【今日は何の日宇多田ヒカル】で取り上げるのも今回が最後になるかな。それは少し悲しいけれど、ヒカルが今と未来に活動を継続するからこその考え方であるともいえ、それならそっちの方が贅沢じゃないかと考え直せもする。いずれにせよ、動く新時代は歌もきっと変わってゆくのよ。今聴ける歌は今のうちに味わっておきまっしょい。