『あなた』では五感同士以外でも“感覚の行き交い”がある。最初聴いた時誰しもが「おっ?」と思った筈だこの一節に。
『一日の終わりに撫で下ろす
この胸を頼りにしてる人がいる』
本来「胸を撫で下ろす」というのは慣用表現であって、「安堵する、安心する」時に“そう言う”だけだ。別に実際に胸部に手を当てて下方に移動させる必要はない。だが勿論、そもそも慣用表現になるからには人が安堵した時に実際に胸を手で撫で下ろす事もある/あった訳で。そのどこか曖昧な人の認識を掻い潜って一旦抽象的な「胸」から具象(肉体)としての「胸」に着地し、そこから「胸を借りる/胸を貸す」といった時に使う慣用表現としての「胸」を抽出しなおして今度は「胸を頼りにする」という言い方を導く。「言い方」と「実際の胸部」を行ったり来たりさせているのだ。更にこの「人がいる」の「人」が幼子であった場合本当にこの胸に寄り掛かって眠る訳であぁもうこの2行で抽象と具象を何度行き来するのかと。
だからこの歌のダイナミズムは独特なのだ。聴覚から触覚、そして視覚への移行。今見た抽象と具象の間の行き交い。一つの感覚の中で大小や長短を作って抑揚を演出するというよりは、今自分の感じている世界に外から何かが齎される感覚を使って演出している事で顕れる知的なスケール感。ちょっとこういうのは新しい。
だからこそ、その“外の世界”からの隔絶を象徴する『部屋』というワードが重要になってくるのだが、そこらへんの話からが前回からの続きになる、のかな? 書いてみないとわかりませーんw