無意識日記々

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「テキスト」で連絡手段を濁す手腕に乾杯

@utadahikaru : 友だちからの「イブはどうお過ごし?」というテキストに「飲みながら作業してたらコップ倒してマックとHDにお酒ぶちまけて今大慌てで拭いてた」と返信したら「そっかいつも通りだね」と返される私から皆さんにメリークリスマーース

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新曲の作業なのかなーだとしたら嬉しいなーという訳でメリークリスマス。

あたしゃヒカルなどとは較べ物にならない位にドジだが、いやだからこそ昔からPCと同じテーブルに飲食物を置かないのは徹底している。なのでぶちまけたことはない。ヒカルは自分がドジだとは思っていないのではないか。

これは古典的な問題だ。天然の人は自らを天然だとは認めない、ってヤツね。認めた瞬間に天然ではなくなる。

ヒカルさんのドジは天然なのだろうか人工なのだろうか。9年前のクリスマスイブもカニを見てイカと叫んでいるし筋金入りなのだろうか。考えない方が幸せかな?

自己プロデュースって難しい。ヒカルがどれだけ自分を客観的に見れているかの試金石といえば9年前の『Goodbye Happiness』のPVだった。監督として宇多田ヒカルという素材をどう見せればよいか、過去のどの映像監督より熟知していた。

兆候はあったのだ。2006年以降『Message from Hikki』に画像が投稿できるようになった。やがてアップされ始めた自画撮りがやたらかわいかったのだ。デビュー以来ヒカルの魅力をよくわかっていないフォトセッションが繰り返される度に歯痒い思いをしてきていたのだが、これぞ灯台下暗し、本人がいちばんの適任だったというね。

コンスタントにミュージック・ビデオの監督やフォトセッションのディレクションなどを務めるのは労力的に無理がある。八面六臂どころか千手観音と言いたくならぁ。勿論ヒカルに全部やって貰えれば総てが素晴らしいものになるだろうがその分の労力を作曲に当ててくれた方が幸せの総量は大きいだろう。『This Is The One』メソッドである。トラック・メイキングはヒカルがやった方がいいかもしれないが、それなりの出来でもOKにすればヒカルが作詞作曲に注力できる総量が増す。そこのバランスなのである。

今日のツイートは「友だちからワーカホリック&アタフタワーカーだと常々思われている事」を表してはいるが、同時に、そんな自分を伝えると喜ばれるという自己プロデュース視点がしっかりとそこにはある。作業段階がミキシングとかマスタリングとか、プロデューサー・プロセスに入ってるのかもしれない。だとしたら次の曲は2月下旬リリースだよね。先走り過ぎですが、やっぱりそこは期待しておきたい。