春になるとラジオ等から『SAKURAドロップス』が流れてきて「まだ咲く前から散る歌かいな」とツッコむのが毎年恒例になっている。でも、あれ、もしかして『桜流し』の方はそんなにそうなってない? なんで?
曲調なのかなぁ。『SAKURAドロップス』の方は情緒は豊かだが暗いとまでは言えず、儚い美しさが先に立つ。一方で『桜流し』はまず“重い”。幾らどちらも桜が散る歌だとはいえ『桜流し』は流石に春が来たウキウキ感から遠過ぎるのかもね。鎮魂歌的だしね。
これは、でも、本当に微妙なライン引きでなぁ。Pop Musicとしての“使いやすさ”。『桜流し』は、逆に、重厚さを押し出したことで映画の主題歌としてのイメージを損ねなくなった。「序」の『Beautiful World』発売時は「映画の主題歌としてのフィット感と宇多田ヒカルのPop Songとしての存在感の両立」がテーマで、これは見事に達成された。映画の大ヒットと主題歌としての好評は言うまでもなく、曲としても(シングルCDとしても)年間20位である。ヒカルとしては物足りないかもしれないが堂々たるものだ。だが『桜流し』においてはかなり映画寄りになったというか、あまり“Pop Musicとしての機能”に注意を払っていなかった気がする。その分世界観に全フリできたと言いますかね。
となると、次の「シンエヴァ」の主題歌のバランスが気になるところ。参考になるかどうかはわからないが、13年前より今の方が無意識日記の読者数多いのよね。まぁ何割かはクロールなんだろうが、3割くらいは増えている。もしかしたら復帰前より復帰後の方がファンの絶対数多いんじゃない? わかんないけど。
となるとだね、ちゃんとPop Musicとしての機能も追究しておかないと、置いてきぼり食らう人が結構出てくるんではないかなと。今更新規で入ってきて四半世紀にも及ぶアニメの最終作を観ようとはなかなか思わないでしょう。何も知らない人が楽しめる作品になっているとは思えない。そうなると、そういう人達にとっては映画やらタイアップやら関係なくその主題歌は「宇多田ヒカルの新曲」でしかない訳でね、そこは押さえたい。
それこそ、『Beautiful World / Kiss & Cry』みたいに両A面シングル出すとかできたらいいんだけどね。まぁ今だと同時発売ってやつか。5年前に『花束を君に』と『真夏の通り雨』でやってるから可能だろう。……って、そんな気軽に言うなよな。まーでもヒカルならやってくれそうだから、困るよねー。