無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

プライドのバランス

今週の私の日記は不思議な感じでな。個人的には甘織れな子の新刊を笑い転げながら読み終え、ティグラン・ハマシアンの新譜に舌鼓を打ちつつ(トーシン・アバシとの共演曲もよかった!)、今日なんかはチャック・ベリーを聴きながらいつものように小躍りしたして比較的一週間ゴキゲンに過ごしてきた気がするんだけど、何故か日記の内容はヘヴィだったりシリアスだったり。14年前のバンドの不仲疑惑なんて今まで書こうと思わなかったのになぁ。

ある意味、自分の気分と少し違うからいい距離がとれて「書いちゃってもいいか」と判断したのかもしれない。結構薬物関連の話とか毎度憂鬱なんだもんね。

ヒカルさんは、何度か触れているように、生い立ちもあってか、音楽家という家業をどちらかというと社会のハミ出しものが就く職業だと感じながら過ごしてきたようで、そんなだからミュージシャンなんかが薬物で捕まると「ただでさえまともな社会人生活が送れなくて音楽やって漸く社会貢献できてるような人を追い詰めるようなことわざわざするかね?」みたいな空気を出してきた。最近はどうか知らんけど、昔はそうだったわね。

日本は地上波テレビの影響力が大きいから比較的音楽をやっている事自体はどちらかというとカッコイイ部類に入るのだが、その分というかなんというか、競争率が高い割に不安定な職業なので親御さんたちには総じて人気が無かったりして、なかなかプロを目指すのは難しい。英才教育でつく差も大きいしね。ちょっとしたねじれ現象だが、だからなのかそうでもないのか、ヒカルは音楽家であることをあまり誇ったりしない節があるのな。卑下してる訳でもないんだけど。

他方、作った作品に対するプライドは相当なもので。毎度「ベストは尽くした!これ以上は無理!」というところまで突き詰めるからだろう。近年ではパイセンの名言として、『Fantôme』を指して『こんな作品二度と作れねーよ』なんてのもあった。ベストを尽くし過ぎてベスト以上の何かが生まれてしまったといったところか。なんにせよ、ツアーにせよ制作にしよ全力を知ってる人は強いな。

この、音楽家としての慎ましさと、作品に対するプライドのバランスを皆わかってくれれば、それこそ薬物関連で前科をつけられた人達に対する反応も少し変わるのではないかなとついつい夢想してしまう。どうしても、人としてどうか、というところにばかり気がいって、その人のしたこととの峻別が曖昧になる。どうにも、人としてのプライドのバランスが異文化過ぎるんでなかろうかな。音楽家をはじめとした芸能関係やクリエイターの皆さんのは。自分も今週、自分の気分とアウトプットの“ズレ”を眺めながら、そんなことを考えてしまったのでした。結構わかりにくい話だったな今回は。