無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Learn more, Nevermore.

アカデミー賞の選考基準に「多様性に貢献する4要件」みたいなものが加えられたらしく。社会的少数派を積極的に起用した作品に授賞しますよとのこと。

本来であれば映画作りにその人の属性などは無関係で、そんな縛りはそれこそ自由で多様な映画作りを制限するものだと言われかねないが、残念ながらアメリカという国は奴隷で作られた国なので、その“間違った歴史”を修正する為の奮闘は今世紀も変わらず続くということなのだろう。何世紀にも渡って既成事実化既得権化した差別構造を是正するのは簡単ではないのだきっと。

先日Utadaの『EXODUS』が発売16周年記念日を迎えたが、同作の収録曲が今でいうクィアなテレビドラマで起用されたという情報を目にした事がある。いつの話だったかなんていうドラマかも忘れてしまった─というかそもそもその時もわからなかった気がするな─が、YouTubeで抜粋を観たので2005年以降のことだろう。もっと後かもしれない。とまれ、当時からUtada性的少数者の味方としてみられていたように思う。2ちゃんねる掲示版も同性愛板がメイン(?)だったし。

そもそも『EXODUS』自体が、日本とアメリカ、アジア人と白人、みたいな対比を意識して作られたアルバムだった。はてさて、米国市場に音楽を提供するとして私は何を書いたらいいんでしょう?というUtadaの悩みがそのままサウンドになったような気もするが、結局結論は最初から変わらず、『Opening』と『Crossover Interlude』で歌われているように『超えたいのはジャンルの壁じゃなく私とあなたの間なの』ということだった。この場合のジャンルとは、アメリカの音楽市場を見据えての呼称なのでほぼそのまま人種という意味だ。『Let gMe Give You My Love』の冒頭にはその対比を匂わせる描写があると前に指摘したが、今年のキーワードのひとつが"Black Lives Matter"である以上、ヒカルが今英語で歌詞を書いたらそういう描写が差し挟まれる期待がある。次の新曲が日本語である保証は特に無い。英語になる可能性もそう高くはないけれど。人種や宗教の断絶は人を飛行機に乗せてビルに突っ込ませるんだよと世界中が教えられて19年、どれだけ学ばれたかを私は知らない。