無意識日記々

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差別破壊は基盤危機

昨今のLGBTQイシューに加え今年はBLM運動も話題に上った事でとりわけ男女差別や人種差別についての関心が(なんだかまとめて)高まっている。ヒカルもそういった話をツイートする機会があった。全体のツイート頻度からすればかなりの関心度だとも言える。言いたいこときっといっぱいあるんだろうな。

しかし、個々のアイデンティティ意識と紐付けて考察しないと事態は改善されないだろう。男女差別への糾弾は「男であること」や「女であること」をアイデンティティとして生きている人間の根幹を揺るがす。

人種差別や国籍差別も同様で、「白人だから」とか「日本人だから」とかいう事に誇りを持っている事と、「だから白人以外は差別する」や「だから日本人でないなら差別する」は表裏一体だ。

ここをクリアせずにマイノリティ側が押し通そうとしても難しい。性別や人種や国籍をアイデンティティにしている人は、あからさまに言ってしまえば個人としての拠り所が何も無いのだ。自分に他に誇るものがないから生得的な性別であったり国籍であったり血統であったりを誇る。

自らの努力や実績を誇る人は特にそうでない人を差別する事は無い。アイデンティティとは自信だからだ。生得的なものをアイデンティティとして抱える人はそれは不安の根源そのものである。自分が何者でもない事を示しているようなものだからだ。であるから、そうでない人を差別するのに忙しい。わざわざ他人を嫌がらせする為に時間を割くくらいなら自分に対して時間を使えばいいのにとついつい思ってしまうが、そもそも時間を費やせる自分自身がどこにも見当たらないのである。

そしてそれは、殆どの人にとってそうなのだ。自分が一端(いっぱし)の何者かであると胸を張って言える人なんてそうそう居ない。

しかし、程度の問題ではある。社会情勢が不安定になれば差別は増す。人々の不安が根源なのだから自然な帰結であって、つまり、差別を解消するには他人ではなく自己を相手にするのがいちばん大事なのだが、マスメディアであれインターネットであれ、当然ながら、他者を相手にするから発信する訳で、自己を相手に生きている人は他人の目になかなかとまらない。この、本来の意味での「内向的な人々」と、メディアを使ったコミュニケーションなどで知られる「外向的な人々」との間の溝は相当深い。どうすりゃいいかわかんないな、この問題に関しては。

昔に較べて格段にインターネットでの発言が減ったヒカルさんだが、自分の時間を大事にしているという事であればそれは喜ばしい事だ。実際、昔に較べてファンの方もメッセの更新があるかないかと毎日チェックするようなことも減ってきて……あれ?どうなんだろうなそれは? スマートフォンの普及でますますチェック頻度が増えてたりするのだろうか。十数年前まではインターネットで情報を得る為にパソコンを立ち上げたりしていたが、今はそれこそ5秒でチェックできるもんねぇ。でもそれはヒカルも同じだから、発言が減っているのは……えぇっと、子育てが相変わらず楽しいということにしておきましょうか。はい。