無意識日記々

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不倫話なんか書かなきゃよかった

菊池センセが一昨日だか昨日だか、「"花は咲く"の作詞をした人が私の支持しない政治家を支持していてガッカリした」みたいなツイートをリツイートしていた。まぁその気持ちはわからなくはないが、その結論が確か、「今まで素晴らしいと思えていた"花は咲く"の詞がそうは思えなくなった」みたいな所に行っていたので、嗚呼悲しい事態だなぁと悲嘆しましたよ私。

それもまぁ、そうか。詞のよさが消えるというよりは、「これ、私が感じてるのとは別の意味なんじゃないの」という邪推が歌を聴いてる時や歌ってる時にいちいち浮かんできては、確かに落ち着いて感動してられないよねぇ。こればっかりは、本当に。言葉から出来ている詞だけに、なかなか抗い難い。

これがインストならまだマシだったりするんだ。すぎやまこういち久石譲のラジオや何かでの発言を聞いて「うわーこういう人だったのかー」と思ったコトが私にもある。でも、今ドラクエのテーマやナウシカのサントラを聴いても、何の邪念も浮かんで来ず「音楽は音楽だからねー」と純粋に感動出来ている。寧ろ、政治的な考え方が全く相容れないような人が相手だとしても、音楽ならばわかり合える接点を見つけるコトが出来るんだという希望すら持てる。とてもよいコトだ。しかし、そう純粋に思えるのもそれが言葉を持たない器楽演奏曲だからだ。歌詞のついた歌では、こうはいかないだろうなぁという事は想像出来る。


そういう意味では、今までのヒカルは歌詞において、実に注意深くそういった点で聴き手を落胆させるような内容は避けてきているように思う。それなりに話題になった、というスケールにおいて唯一取り上げられるのは『Keep Tryin'』の『国家公務員』のクダリだろうか。勿論これは聴き手の誤解であり、そこはヒカルもきっちりインタビューやツイートで解説をしているが、音声ファイルやCDパッケージをひとつの作品として市場に出している以上、そこに付随していない解説が必要であるならばそれは作品としての表現不足でしかない。もっとも、その『国家公務員』の一節に本気で反応した方々は極めて少なくはあったようだが。書き手としては、誤解した人が1人だろうが1万人だろうが、気になる時は気になる。

…というかなりのレアケースを引っ張り出してこなければならない程、ヒカルは注意深く歌詞を書いている。作詞家として、というより人として、そもそも社会としっかり向き合っていこうというスタンスの人だ。アーティスト・ミュージシャンの中には現実からの逃避先として自らの作品を位置付けている人も多い。ディズニーや宝塚、ヴィジュアル系など"非日常"を与える、もっと言えば「夢を与える」表現者というスタンスの人々。ヒカルは彼らとは一線を画す。現実と向き合い、愛を知れと。『花束を君に』でもこう歌っている、『毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無くただ楽しいことばかりだったら愛なんて知らずに済んだのにな』と。そういう人である。

そういう、現実と向き合うスタンスを貫きながら、政治や宗教などとしっかり距離を取るのはかなり難しいコトなのだが、ヒカルは今まで実にうまくやってきた。『誰かの願いが叶うころ』のように、美しくまとめてきた。

でも今後はわからない。もしかしたら、ヒカルの普段のWebの発言を聞いて「詞を純粋に楽しめなくなった」という人も出てくるかもしれない。それは貴方かもしれないし私かもしれない。もし私がヒカルの新曲を聴いてバックの演奏の話ばかりして歌詞の話を一切しようとしていなかったら、どうか察してそっとしといてあげて(笑)。きっとどこかでガッカリしている筈だからなっ!