無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

鏡色の指輪

『朝日色の指輪“に”しよう』

『同じ色の指輪“を”しよう』

この二つはつまり、実際の指輪の色について述べているのではない。「指輪を朝日色に輝かせよう、二人で共に。」という事だ。

実際に同じ色の指輪を嵌め合うのはペア・リング、ペア・ルックということでそれはそれで何とも微笑ましいが、これは二人の間の取り決め、約束事の類になる。

『誓い』ではその「約束」とは一味違う趣を主眼とする。それは楽曲最後の『共に生きる』という一節に集約されている。肩を並べて同じ景色をみる関係でありたいと。

或いは、指輪が「鏡色」なのだと捉えてもいい。何か一つの色に二人を合わせていくよりは、その都度変わる人の心や環境の変化を映し出しながら、それを共に感じて生きていこう、と。その中で『朝日色の指輪にしよう』とは、未来への希望を二人で感じていたいということだろうか。

斯様に、約束と誓いの違いは紛らわしい。しかし、そこには根本的に異なる側面がある。だからこそヒカルはこうやって、仔細に渡って歌詞に起こしていくのだろう。自分の人生哲学を反映させて理解してもらう為に、様々な言葉を駆使する。紛らわしいのは、紛らわしいからこそなのだ。嗚呼、ややこしい。

ある意味、現実の指輪なんてなくてもいいのだ。『誰にも言わない』で腕時計を外すように、この場面でも指輪を外してもいいのだけれど、残念ながら現代社会ではそれをやると浮気現場になっちゃうからね。そういう描写にする訳にはいかなかった。だから、何色でもなく何色にでもなる鏡色の指輪に朝日を照らさしめる事にしたように思える。社会の規範と恋愛感情はいつも裏腹で、我々をやきもきさせるのだ。20年経ってもなお『初恋』という名の歌を謡うなんなん歌姫ならではの切り口といったところか。