無意識日記々

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じゃれ合いで傷だらけ

でまぁ、『Face My Fears』×2と『誓い』&『Don't Think Twice』の歌詞を吟味していると、やっぱり大元の歌である『光』&『Simple And Clean』の歌詞を復習したくなってきて聴いていた。……んだが、あらためて、なんちゅう歌詞なんだろうなこの曲たち。コイツらがディズニーキャラクターの乱舞するゲームでオープニングを飾っていたのか…。

要は、世間知らずな若い女の子が恋愛ではしゃいじゃって結婚!結婚!ってテンションになっているのを相手の年増な男の子が宥めているという構図でな。これは勿論、当時19歳にして14歳年上の男子と結婚したヒカル当人を本人自ら強烈に皮肉った歌詞になっているのでありまして。

何が問題って、この夫婦がその後四年半で離婚しちゃった事なのよね。皮肉ったつもりが現実になっちゃった…と言うと少し違うんだけど、ある意味洒落にならなくなったのよなー。

ところが、その後の『Utada In The Flesh 2010』で『Simple And Clean』が歌われて、「あ、ありなんじゃん」となったのだった。私生活は私生活、歌詞は歌詞ということかと。そこは切り離して考えられるのかもしれないなと。そういう感想だったはずなんだが更にその10ヶ月後の『WILD LIFE』では『嵐の女神』を歌わず、でね。いやこれは歌えなかったのではなく例えば単にセットリストにうまくハマらなかっただけかもしれんねんけどね。でも、終演後に流すもんだからなんとなくここのこのり……心残りなのかなぁと。

『お金ならあるわよ?』に代表されるように、ヒカルは自身を客観視して批評的にみるのが抜群に上手い。だからヒカルをいちばん魅力的に撮れるカメラマンはヒカル自身だし(メガネっ子自撮りとか殺人的な可愛さだ)、自分を歌詞の素材として扱うのも見事なものだ。『道』の『調子に乗ってた時期もあると思います』なんかも、あたしはそう思ったこと無かったけれども、世間的にそう思われてるかもしれないなというところを本人自ら的確に突いてきていたのだろう。正直、ずっと注視し続け過ぎているヘヴィ・リスナーの方が批評眼を曇らせているってことなんだろうな。

そういう観点に立って『Face My Fears』×2や『誓い』&『Simple And Clean』の歌詞をより批評的に、クリティカルに読み返さないといけないのかなと。今(というか2018年当時)の御時世、世間的に宇多田ヒカルってのがどう思われてるのかというところを踏まえながら歌詞を読まないといけないのかもしれない。ええっと、つまり、八歳年下のイタリア人男子と結婚して。で、女子の方が歳上だから『本当にこんな私でもいいの?』というセリフが出てくるように…ってなんだか面倒臭いなぁこれ…(笑)


面倒臭くなったのでこれは一旦見直しますかね。来週また仕切り直しながらアプローチを考えてみたいと思います。