無意識日記々

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ひぃひぃ、ぜぃぜぃ。

@utadahikaru : 皆さんの反応を見て補足!息子の「わたし」一人称は丁寧な言葉ではなく私の影響みたいで…日本語のインプットがほぼ母親からしかないから女言葉になってそのまま大きくなる、という海外育ちのハーフ(母親が日本人)の男子あるあるらしいです[emoji:331] posted at 22:50:19

ということで、ヒカルさんが皆さんの反応をしっかりチェック。ありがたいことです。

一人称については昨今LGBTQへの理解に伴い英語圏ではshe&heよりtheyを使おうという動きがあるようで。寧ろなんでそこで性別が要ったのかというのが中学一年生から英語を学んできた人間の感想なので要らぬ労力を省けるという手前勝手な理由で私は素直に歓迎したい。逆に今迄theyに慣れてきた向きとしてはそれで単数を表現するのに違和感があるかもしれないが、thisやthatから直接繋いで覚え直せばいい気がする。theseもね。てか、単数複数の区別も要らないだろというのが中一から以下略なので、それも無くしてくれても構わない。とはいうものの、この独特の言語体系は幾何学の発展に大いに寄与したと思われるのでそこへの注意は払われるべきだろう。話が逸れた。

ヒカルの息子君も今は息子君だが、今後成人して自らの生き方を選べるようになった時に性自認がどうなっているかはわからない。一昨日のツイートを取り上げた記事に「宇多田ヒカルの娘」と書いたものがあったらしいが、ツイート中に『5歳の息子』とハッキリ書いてあるのにすごい間違いだなとは思うものの、性別という捉え方が今後それぞれの社会でどうなっていくかと共に、関わっている人達が現在どんな認識でいるかも気にかかる。5歳でロンドンに住んでる子が日本語のWeb記事に目を通す機会はないだろうとは思うものの、彼(ってこの文脈でこう書くのムズるなぁ)がもし読んだら娘という誤解をどう捉えるのだろうか。あれくらいの年齢だと自分のことを大人に間違われると泣いたりもするし、だけど、男であることとか女であることに、間違い云々ってどう見えるのだろうな。まぁまだそれに悩むのはもう少し先の話になるだろうか。年齢的にも、時代的にも。

実際、自分の小さい頃などは(昭和末期だな)、男の子が女児向け玩具やアニメに手を出そうとすると奇異に見られる傾向があった。「美少女戦士セーラームーン」あたりからそこらへんの空気を打破する下地が作られ始めてた気はするがちょいと世代的に恩恵は受けていない。作品を楽しむのに性別で隔てられいてはもう半分の層からの取り込みを阻害するだけでメリットは乏しいように思われる。ただ、当時の社会構造への適応という意味でそういった教育には効能があったのだろう。今後どうなるか、少子高齢化社会では正直余り期待出来ない気はしているが、彼が成人する15年後とか(時期はその時居る国の法律によりますな)にどうなっているやら、あれやこれやと妄想が捗るのでありました。願わくば少数派にも多数派にも暮らしやすい世界でありますように。