無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

大事/valued

週のはじめに『PINK BLOOD』は「結論としてポップ」であると書いた。ポピュラーミュージックとして流通するのは氷山の一角に過ぎなくて、宇多田ヒカルの天才は見えていない水面下にその大部分があるのだと。

『PINK BLOOD』の歌詞は、そのヒカルの今の曲作りのアティテュードについても言えることなのではないかな。

前回、

『他人の表情も場の空気も上等な小説も

 もう充分読んだわ』

という歌詞に関して「世間に流通している技や知識は身につけた」という解釈を施したが、今のヒカルの曲作りもそんな風合いが伺える。他の人たちがどうやっているのかは大体把握した。ここまでくれば、私は私自身に集中することで、自ずと結論を出せるようになっている、と。実際、もう『PINK BLOOD』のYouTube再生回数は400万回を突破している。十二分に売れている。結果を出している。

こういう結果を踏まえると、『キレイなものはキレイ』という一見暴力的にすらみえる主張も、実際は果てしない優しさの末に辿り着いた結論なのだと理解出来るようになってくる。皆の顔色を伺って、場の空気を読まないようにし、世界中の知識から薫陶を受けた挙句の

『自分のためにならないような

 努力はやめた方がいいわ』

なのだ。決して他者を疎んじているのでも軽んじている訳でもなく、寧ろ逆で、写真一枚でその人の性格を当てる事ができるようになるまで顔色を伺い尽くした結果として辿り着いた境地なのだ。故に人々に受け入れられる歌を結果として作ることが出来ている。

それを踏まえないと

『私の価値もわからないような

 人に大事にされても無駄』

という歌詞がやや乱暴に響くかもしれない。折角親切にしようとしてくれてる人をそんなに邪険に扱わなくても、と思わなくもない。

そこの部分の英訳はこうである。

『What's the point of being valued by someone who dosen't understand my worth?』

こちらで勝手に訳せば「私の価値を理解しない人に評価される意味って何なの?」ってところか。反語的表現("What is this?" - "Nothing!")での主張になっている。日本語では「大事にされる」であった箇所が「評価される」というやや上から目線を感じる言い方に変えられている点を考慮すれば、少しニュアンスの印象が変わるのではないだろうか。

そして…ここの所の含意をもう一歩踏み込んで考えたいのだが、続きをそのまま書くかどうか半日考えてからにしますねw