無意識日記々

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くまひとつ 枯葉の枕に 涙落つ

日曜の朝のInstagram投稿は一体何だったのか。打ち捨てられたくまのぬいぐるみの写真に涙の絵文字ひとつ。最初Windowsのブラウザで観た時絵文字が表示されなくて何なんだとなったわ。iOSでみたらみれた。それと何故かTwitterでの告知が無い。いつもはあるのに。余計余韻がわからない。

こういうの、未だに読み解けない。

① 道端でみつけて撮ってすぐに投稿した。特に意味は無い。

② 元々持っていた画像をタイミングをみて投稿した。明確なメッセージが込められている。

③ なんとなく。ヒカル本人も後から「そういう心境だったのかこの時!」と気づくやつ。

大別するとこの3つになるだろうか。①だとすれば深く考える必要は無い。クマ・チャンがぺしゃんこになる夢を見て泣いて飛び起きるような人だ。クマのぬいぐるみが道端に(ってこれ何の上なんだ??砂利?アスファルト??芝生??)打ち捨てられていたらエモーショナルにならざるを得ない。このあと道脇の塀の上にでも置いたのかな。いちいち拾っていたら今頃部屋中くまだらけだろうし。落し物シリーズにくまのぬいぐるみ出てきたの初めてじゃないしな。少なくとも写真には残しておこう、というところだろう。

②だとすれば、そのメッセージを読み解く必要がある。くまはヒカルの分身とかこどもとかいう意味だから、何だろう、書いた曲が捨てられた─お蔵入りになったとかボツになったとか、或いは放置されたままだとか?そこに涙色の顔を添えるとなるとそれが不本意な状況であるとわかる。そうなってくると、『Find Love』のプロモーションが一向に始まらない現状とリンクしてしまうな。ヒカルにもどうにもならない理由でストップしていて悲しいんだということを暗に伝えている事になる。他の曲の事かもしれないし、曲のことでなないかもしれない。でもかなり重い話にはなるだろう。くまはそれくらいヒカルにとって大切だ。リラックマにはやや冷たかったり、パンダくらいまでいくとくまの仲間だとはあんまり思わなかったりとある程度グラデーションはあるんだけどね。

③の場合は、今考えても本当に仕方がない。10年後20年後まで「こんな写真が投稿された事があった」と覚えておこう。ヒカル本人すら忘れてた頃に意味が分かる。歌詞の予言性とかと同じ症状だわ。

勿論問題は、そもそもこの①②③のうちどれかかすらもさっぱりわからないこと、だ。④⑤⑥……と他の可能性だってあるだろうし。そこまで飽和すると考えるだけ無駄だな。やはりここは、個々があの写真をみて何を感じたかをどこかに書き留めて置く事だ。出来ればヒカルの目に留まる所にね。それが次の相互作用を生む。いつか元気なくまのぬいぐるみが投稿された時には、悲しみは解かれているだろう。その日をのんびり待ちますわ。